2006年05月13日

脳みそってスゲェ!っすよ。

ここ2年くらい、私は猛烈に学習している・・・ような気がする。
実際に、放送大学にも入ったしねぇ〜・・・その歩みはボチボチでんなぁ、なんだけど、まるで高校生にでもなったように、新しい視点からの見方を次から次へと学んでいる・・・ような気がする。

そのきっかけは息子の不登校であり、その根底には自分の登校拒否があり、その根底を覆してくれた我が家の守護神の存在があり、その存在とは逆に、その根底を肯定する不登校支援の意見がある。
それらの人たちが言っていることを考え、それらの人たちの自分にとっての存在を考え、「私はどう考えるのだろうか」ということをしっかりと持ちたいと思った。
何が正しいのか、ではなく、「私はどうしたいのか、私はどう思うのか」を探している・・・ような気がする。

探しているというか、自分なりの「信念」を確立したいと思っている・・・ような気がする。
。。。いや、多分そうなんだろう。

続きを読む
posted by チャマ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月29日

排除

GW九連休につき、今まで溜めていたことを吐き出している連休初日の今日。
皆様におかれましては如何お過ごしでせうか?

さて、直前エントリでは少々育児について書いた。
今時の育児事情(私の周辺限定)についても書いた。
勘違いしないで欲しいのは、私はおとーさんの育児参加には大賛成だ。
ウンチもゲロもコミコミで24時間体制でがんばっているおかーさん達は、不老不死じゃないし疲れを知らないロボットじゃないんだから、ほんのちょっと分担してくれるだけでも随分と楽になるんだ。
ご飯の後片付けをしてくれるとか、お風呂を掃除してくれるとか、コーヒーの一杯でも入れてくれるとか・・・
疲れているのはお互い様なんですからね。
そしてアナタのお子様は奥様だけのお子様ではないのですからね。

それに、子どもを夜遅くまでカラオケに連れまわすお母さんがそう出来るのは、おとーさんがあまりに無関心過ぎるからじゃないんですか?
いいんですか?

続きを読む
posted by チャマ at 17:01| Comment(2) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お父さんの育児参加

今期放送大学で選択した「子ども・青年の生活と発達」のテキストを読んでいて、データからは実態が見えてこない、ということをアリアリと目の当たりにした。
アンケートから得られたデータというのは、回答者が決して本当のことを書いているとは限らないからだ。
そんなデータを元に推論を立てることは学問とは言わないだろう。
ところがそんなことをやっちゃっているんだなぁ、このテキストでは・・・

続きを読む
posted by チャマ at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月25日

おまけたっぷり

昨晩、某国営放送で「真剣10代 しゃばり場」の再放送をやっていた。
ゆとりだの、競争だの、なんてことをしゃべり場っていた。
初回放送を見た記憶があって、この時は「大人代表」のようなツラを下げてムチャクチャなことを言っている、ナントカっていうオヤジに憤った。
そして昨日も、まったく同じように憤った。

続きを読む
posted by チャマ at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

好きじゃないけどキライじゃない

このところお仕事絡みのネタが続くけど、今日もソレ。
正念場を迎えている勤務先の会社を眺めていると、「気に入らない」から「やらない」という原理原則のようなものを垣間見ることが多い。
最終的にはやることになっても、それまで一言二言ゴネてから、ってこともある。
これもまた、余裕がなくなれば無くなる程そういうことに捕らわれる傾向が強いんじゃないんだろうかって思う。

続きを読む
posted by チャマ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

事務員なんていらないのだ

小さな会社の事務員になって7ヶ月(バイト時代の半月込み)
飛ぶ鳥を落とす勢いだexclamationとの世間の評判はさて置いて、いろんな意味で正念場を迎えている弊社でございます。

続きを読む
posted by チャマ at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

お仕事革命 その後

今週、チョビっとばかり隠密裏に会社がゴタついた。
元を辿れば、私が火をつけちゃった?感が無いこともない。
私がチョイと前から企んでいた「仕事をシステマティックにしよう」計画が私の手を離れて、大きなコトになってしまった。
だから元を辿れば、私じゃん・・・ということになるんだろうなぁ・・・

続きを読む
posted by チャマ at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

守護神

我が家には守護神がついている。
どっかのナンカの宗教に属する守護神ではなくて、今でも立派に生存しているタダの人間で、だけどタダ者じゃない。
本人曰く
「人生好きなことやって、時々酔っぱらっているただのオヤジ」なのだそうだ。
そんなオヤジ守護神は「め」神といい、先週通りがかりにコメントを残してくれている。

続きを読む
posted by チャマ at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

17万円のワイン???

今朝、不登校次男息子がこんなことを言った。
「17万円のワインをコルクの匂いを嗅いだだけで『飲ませられない』って捨てちゃったんだって。それって勝ち組みだと思う?」

・・・

ナニをいきなり・・・

続きを読む
posted by チャマ at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月28日

自己中心性とジコチュー

2コ前の記事で、バカの壁は自己中心性からの脱却かもしれない、と書いた。
自己中心性とジコチューとは違うと思う、と書いた。
自己中心性には相手の存在が無くて、ジコチューには存在する場合があるから、と書いた。

自己中心性というのは、「自己と自己以外のものを混同することであり、自分の立場からしか世界を見ることができない状態を指す」と放送大学の生涯発達心理学のテキストには書いてある。
要するに、心の理論の未成熟さ、とも言えるかもしれないね。

自己中心性という世界認識の特性はピアジェがそう呼んだとテキストにはある。
ピアジェは何回かエントリ内でも書いたとおり「子どもに教えるということはすべて、子どもがそれを創り出し、発見することを妨げることになります。」と言った人だ。
今の学校や教育界や教育ママゴン界では、こういう考え方が主流となっているようにも思う。
いいのか?それだけで?と私は思うんだけどね。
こんな言葉を無条件で肯定する前に、もっと考えろや。

続きを読む
posted by チャマ at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月14日

地獄の沙汰も・・・

このところ教育ネタばかりです。
懲りもせず、またまた自分で種を蒔いてしまいました。
実りの多い今日この頃ですが、収穫に忙し過ぎて少々お疲れ気味です。
体力的にも思考力的にも・・・

とは言え、いろいろな方の意見を読めば、それは当然感想なんかがある訳で、口から生まれた口だけ大将としては黙っていることなんゾ出来ません。
「言葉の無い世界に行きたい」とおっしゃる心の恋人リリーさんに共感を覚えながらも、思いの丈を叫んでみるのでございます。

さて、kiwi-arohaさんから、コメント&トラバを頂いた。
トラバして下さった記事は期間限定だそうだから、売り切れゴメンってことで、興味のある方は急がれたし。

彼女は教師の評価について

「格付けとかして「下を切る」よりも、洗練された教育ができるような教員の教育に力を注ぐべきではないだろうか。」

と結んでいる。
「もし太田光が総理だったら」
 ⇒http://d.hatena.ne.jp/kiwi-aroha/20060104/1136348086

そんな彼女は「女王の教室」のマヤ先生みたいな先生に、心をメッタ刺しにされたようだ。

「私は確かに、Mに知識として与えられた膨大な「算数」と「数学」の知識は、今大学でコンピュータの勉強をするのに役立ってるから感謝してる。

でも、心はすごく傷つけられたんです。」


そして

「5年ごとに教員免許更新などの制度に切り替わるようですが、自動車免許の更新のような「カタチだけ」の簡単な更新になって、これ以上「一生に一度しかない」教育を受ける期間に傷つく子ども達が出ないよう、祈っています。」

と結んでいる。
「ドラマ『女王の教室』は実在する」
 ⇒http://d.hatena.ne.jp/kiwi-aroha/20060111/1136996319

その彼女が「教科書を使わない先生」を登場させた私に記事を書いてくれた。

「教科書のことについて、私の考えを書きます。
私は、正直教科書に頼りすぎる教員も、教科書一切なしでやる教員も、どっちもよくないと思っています。」


結びは
「今もSPIの数学程度ならできますが、公務員試験の数的処理になるとできない問題も多くなり苦労しています。
基本の知識もなく、専門的な勉強をすべきではないのです。」

となっている。
「チャマさんへ」(いやあん、ご指名〜)
 ⇒http://d.hatena.ne.jp/kiwi-aroha/20060112/1137079343

私は実にいろいろな思いが全身を駆け巡ってしまって、コメントしますね、なんて書いておきながら、そのコメントは書いては消し、書いては消し、、、というテイタラクだった。
こんなだらしのないおばちゃんに比べて、なんとまぁ、利発で聡明なお嬢さんなんだろうか。
ウチの息子の嫁にゼヒ来て頂きたい、なんて思ってしまった。
いや、これは性急過ぎるですな。
まずはお友達からお願いします。



続きを読む
posted by チャマ at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月09日

しろ先生へ

って、すンごいタイトルになってきましたですなぁ。
個人名でっせわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)

しろ先生から必殺!TB返し!
 ⇒http://sirosan.at.webry.info/200601/article_17.html
を頂きましたので、懲りもせず、またまたこちらから秘技!TB返し!を一発お見舞いしようと思いまするんるん
なにせ、ここは私も引けないところなもんですからわーい(嬉しい顔)
結局三連休、これにて終了・・・か・・・がく〜(落胆した顔)

私が「お手伝いなんつー及び腰を教育なんて呼ぶなぁ〜!」と叫んだ訳で。
しろ先生が「いンやァ、お手伝いっつーよりも、叱咤も含めた指導・導きであって、チャマさんが言ってることと同じでっせ。例えばこんな風に・・・」
という訳で、書いてくださった記事、とでもご紹介すれば宜しいでしょうか?

で、まず初っ端思ったことは、

 [いろいろと、やりとりのような形になって、掲示板みたいで、
  ブログやけどええんやろかと思いつつ、]


ブログはこういうもの、掲示板はこういうもの・・・
それは、「洋食はナイフとフォームで食べるもの。」と(多分)同じですね。
いーんじゃないですか?箸で食べたって。
おじーちゃん達なんて「五本箸があるやろ」って言いますよ。
解ります?五本箸手(パー)

今の教育に抜けているのは、この感覚だと思うんですよね。




続きを読む
posted by チャマ at 14:08| Comment(7) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月08日

自主性を考える

ココ何回か、トーシローの私が知ったかぶって教育論らしきものをブチかましておりますあせあせ(飛び散る汗)
直前エントリの「現実を認めましょうよ」では、世によくある「地獄ラーメン」とネーミングされるような激辛ラーメンのごとく、激辛エントリでした。
世の先生方は「教育の素人が何タワゴトを言ってんだ。」と、ご不快に思われたでしょう。
私が言っていることは、解る人には解るだろうし、解らない人には解らない。
?どっかに書いてあったセリフですねわーい(嬉しい顔)
チョット前のエントリからリンク先を訪れた方なら、お判りでしょう。
これまた、判る人には判るし、判らない人には判らないわーい(嬉しい顔)

さて、昨日の「現実を認めましょうよ」には、嬉しいことに現役の先生でいらっしゃる、「しろ先生」からコメント&トラバを頂戴しました。
さらに嬉しいことに、記事の元になった「うさなまけ先生」からも、コメントを頂戴致しました。
こうして現役の先生方から生のご意見を伺えるというのは、ネット社会だからこそ、ですね。
有り難いです。

あまりの激辛エントリは、うさなまけ先生に
 [かなりへこみました。しょぼーん。
  特に,「こんな人を教育者なんて呼んではいけないんです。」は,
  ききました。(T▽T)

  チャマさんに何を言っても,批判・反論されてしまう気がして,
  コメントを書くかどうか迷っていました。]


と、「ふざけんじゃねぇ!」と言われるのかと思いきや、凹ませてしまったようでゴメンナサイと思う反面、「先生なんだから、シロートの私なんかに負けんじゃねぇぞ!がんばれがんばれモータースポーツ」なんて思ってしまいました。
批判・反論されることを恐れてはいけないんですよ。
批判・反論こそが、自分を成長させてくれるんですよ。
批判・反論するヤツが悪いんじゃないんですよ。
批判・反論される自分を、そうされないように、そんなモンに負けないように、もっともっと磨きましょう。
それが学びの原点ではないですか。
ガンガン「そーじゃねぇんだ」と言ってください。
ガンガン「だからさぁ」と受けて立ちましょう。
それが私にとっても、学びになるのですから。

なぁ〜んてね位置情報

しろ先生は「対話が必要」と書いていらっしゃいますが、対話の前にまず議論ですね。
そこまで学校と保護者の間には、深い溝があるのです。
しつけも満足に出来ないバカなくせに、インテリぶってる親をギャフンと言わせられるくらい、勉強しましょうよ。


続きを読む
posted by チャマ at 15:56| Comment(4) | TrackBack(2) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月07日

現実を認めましょうよ

「学校・教員の評価を考える」へのコメントを頂きました。
うさなまけのお部屋「教師の日常生活」byうさなまけさん
http://plaza.rakuten.co.jp/usanamake/diary/200601040000/

ありがとうございました。
早速、秘技!「TB返し」をさせて頂こうと思います。
今回はかなり辛口ですが・・・
 ※と思ったら、なぜかトラックバックできませんでした。
   ってことで、
   トラックバック、ナシヨ(欽ちゃん風)


太田光総理の・・・というよりも、松本明子大臣が提出した法案には、賛否両論、沢山の意見が飛び交っているようですね。
というか、既に各種評価は始まっておりますので、そんな教育の現状に対するそれぞれのお立場からのご意見が飛び交っている、ということかと思います。
そしてウチにトラバして下さった、うさなまけさんは教師というお立場からのご意見ということですね。

トラバされている記事を拝見しての感想を一言書かせて頂ければ
あまぁ〜〜〜〜〜い

ですね。

続きを読む
posted by チャマ at 22:13| Comment(4) | TrackBack(1) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月04日

学校・教員の評価を考える

kiwi-arohaさんからのトラバから、今度は評価について考えてみようと思う。

   教師の格付け制度の提案だった。

   やりすぎ?とか違和感とかあるけれども、大学では、
   既にやっていることではないか。

   私の大学では期末に学生が「授業評価アンケート」を書き、
   不評が多かった先生は講義からはずされたりするという。


実は教師への評価というのはその方法に違いはあれど、既にアチコチの公立学校でも行なわれていて、ウチの息子が通う小学校でも行なわれている。
放送大学でさえ、「講義評価」を行なっているのだ。
今や教育現場と呼ばれる場所は、「評価流行」とさえ言えそうな気配だ。

私個人としてはこの「評価」というものは実に怪しい、と思っている。
授業が遅れまくり、いじめが横行し、給食の食べ歩きを黙認しているような野放し教師をクラスの大半の保護者が「いい先生よねぇ〜」と評価していたという現実の中に身を置いた経験がある者とすれば、普段使いの学校を知らない保護者の評価程信頼のおけない怪しいものはない。

大体が、「良い」「悪い」という評価の基準は何だ?
人に対する評価などと言うものは、人によって違うものじゃないか。
最終的な判断を下す校長によっても、「良い教師」「悪い教師」という基準は人によって違う。

いったい何をもって教育の良し悪しを、授業の良し悪しを、教師の良し悪しを、学校の良し悪しを決めるというのだろうか?
評価する人間の「感覚」のみをその基準とした評価など、正当な評価と呼べるのだろうか?

考えられる評価基準はと言えば、TVで言っていたような人気投票でしか有り得ないか、クラスのテストの点数とか、進学率とか、「どこからも文句が出ない」ということ、なんていうようなことなんだろう。

人気を得たいと思ったら、生徒・保護者のそれぞれに口当たりの良いアメダマをしゃぶらせれば良いのだ。
「子どものため」なんてことは何も考えず、何もせず、言われたことを言われた通りにこなしていれば、どこからも文句など出ないのだ。

私が学生の頃は、クラスのテストの点数や偏差値の高い学校に何人進学したかなんてことが教師の間では競争されていて、それが当たり前だった。
だからこそ、私が担任の提示した高校よりも偏差値の低い高校を選択したために、母は以後担任から「口さえ聞いてもらえなかった」のだし、自分で思っているよりも成績が悪くなかったらしい私が大学に進学しなかったことを、「オマエには裏切られた」と担任が酔っ払って電話しきたのだ。

「私」というポイントが加算されなかったことを、当時の彼らは怒っていたのだ。
ふざけんな、私の人生は私のものだ。好きにさせてもうらうさ!

そしてこんな「ポイント制」を「悪しきこと」として葬った結果が今、ではないのか?

教師のレベル低下は、学校の機能低下は、決して評価などというものでは改善されない。
改善どころか、更に悪い方向に向かうんじゃないだろうか。
評価する側にいかに上手く取り入れるか、なんてことが、評価を決めるようになるんじゃなかろうか?
なんて思う。

学校や教育者や学校管理者が物分りの良いインテリを気取っている限り、何も良い方向になんて向かわないんだろう。
その物分りの良さの典型例が、「評価」だと私は思う。


チョット話は変わるけど、未だに釈然としないのが「台形の面積」
1号が「ゆとり教育」によって削除されてしまった「台形の面積」を教わらずに進級した翌年、「台形の面積」が復活した。
1号達はすでに進級してしまっているから、教科書には載っていない。
どーすんだよ?台形の面積・・・
1年遅れで教科書には載っていない「台形の面積」の授業が行なわれたような、結局放置されたような・・・どーしたんだっけなぁ・・・?
ま、息子が困ったら教えてやればいいんだけどね。

台形の面積の出し方くらい親が教えられるし、他愛の無いことかもしれないが、こんなことの積み重ねが「教育不信」を招くんだよね。

こんな文科省の不手際さえ、フォローするか否かで教員の評価が変わるってことにはならないだろうか?
そんなのたまったもんじゃないゾ。


   だから、格付けとかして「下を切る」よりも、洗練された教育ができるような
   教員の教育に力を注ぐべきではないだろうか。



私も同感だ。
本来、そうあるべきなのだ。
ところが「教育格差」でも書いたように、公立学校は「平等」の旗印の下、良くも悪くも教師のスタンドプレイには極めて厳しい目が光っている。
それは「規則」としての目と同時に、身を粉にして子ども達への教育を研究する教師に対する周囲の教師の「足を引っ張ろう」とする目でもある。

ウチの小学校では、卒業式の後に行なわれる謝恩会に担任の姿は無い。
「学校で残務整理がある」というのが表向きの理由だが、実のところは謝恩会に呼ばれる教師と呼ばれない教師がいては都合が悪い、というのが本当の理由だ。
何の都合が悪いかって、呼ばれなかった先生が凹むから。
「謝恩会にも呼ばれなかった先生」というレッテルは、次に受持つクラスの保護者にとって決して良いイメージを植え付けないから。
感謝される教師も、感謝されない教師も、みんな揃って呼ばれないようなシステムを作ってしまえば、感謝されない教師には不都合が生じないって訳だ。
そして一時が万事、この調子って訳だ。

「あんたみたいに独身ならいいわよぉ〜。身軽でしょうからね。
 私なんて同じことをしたくても出来ないのよ!
 あまり出過ぎたことをしないで頂戴ね。」
なんてことなんだろうか。

そして学校を管理する側も、「当たり外れ」なんて言われると困るから
「程ほどにね、周りの教師に合わせてね」
なんて言うんだろうか。
いずれにしても、突っ走ろうとする教師は、どこそこ足を引っ張られるのだそうだ。


若い教師が多い学校では、お母さん教師は悲鳴を上げる。
お母さん教師が多い学校では、若い教師は骨抜きにされる。
その両者を「対等」とすることに無理がある。

もし、kiwi-arohaさんが書かれたようなことを公立学校でやろうとしたら、確実にそこからこぼれ落ちる教師が公立には存在するんだろう。
でも公務員である彼らは、余程の問題を起さない限り辞めさせることはできない。
不登校児の数を見せかけだけ減少させることさえ出来てしまう彼等だから、役に立たない教師をそうと見せないくらいのことはなんとも思わないのだろう。

果たして正当かどうかも判らない「評価」なんかで、低下した意識を向上させられるのだろうか。
その「評価」を元に、逆に出る杭が打たれることのないように祈りたい。

kiwi-arohaさんが言うような、洗練された教育ができる教員を教育する、という体質は、今の横並び体質の公立学校ではどうしたら出来るようになるんだろうか・・・
元凶はこの横並び体質だと私は思うのだけれどねぇ。
posted by チャマ at 20:45| Comment(0) | TrackBack(2) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育格差を考える

昨日の記事『ご丁寧過ぎる教科書を考える』に、早速トラックバックを頂いた。

『じたばた日記』kiwi−arohaさん
「もし太田光が総理だったら」

大学付属の学校で義務教育を受けたという彼女(だよね?)の記事を読んで、
「これが私立と公立の違いかぁ・・・」
と改めて思い知らされた気がした。

松本明子大臣が法案を提出するという形で始められた議論。
教師の人気投票をして、人気度によって給料を歩合制にし、人気の無い教師はクビにする、という、かいつまんで書けば、こんなカンジの法案。

教師のレベル低下の実例として、泣き虫教師や、上がり症教師などが挙げられていたけれど、私が感じる教師のレベル低下は特定の誰かさん、だけではなくて、全体的な低下だ。
人間性云々もさることながら、教師の学力の低下ってヒドくない?
高卒の私が言うのもオコガマシイが、「この人まともな勉強をしてこなかったんじゃないかしら」なんて思えるようなことが、普通使いの学校では多過ぎる。
教師本人の勉強不足がそうさせるのか、それとも文科省の指導要綱がそうさせるのか、それは私にも解らないが、兎にも角にも、「自分の理解していることを教える」というカンジではなくて、セオリー通りマニュアル通り研究授業で見た通りにやってます、という風に見えてしまうことが多い。


続きを読む
posted by チャマ at 17:45| Comment(4) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月03日

ご丁寧過ぎる教科書を考える

不登校児童とは言え、ウチの2号にも「冬休み帳」は配られる。
学校に行っている子ども達の学習度が兎角気になるウチの不登校児は、「冬休み帳」をパラパラと眺めて
「算数なんて楽勝ジャン」
とかほざいた。
「じゃ、やってみせておくんな」なんて言って私や中学生の長男1号が煽ると、
「いぃ〜よぉ〜、楽勝だしぃ〜」
なんて言いながら取り掛かる。
となると、残された1号も
「一緒にやっちゃえよぉ」なんておとーさんに言われて、想定外の「冬休み帳」をやらされるハメになる。

正式名称「適応支援教室」通称「中間教室」と呼ばれる、「ココに行けば登校しなくても登校にカウントされる」なんていう、学校を管理する人間達にとっては誠に都合の良い場所に通う我が家の不登校児は、算数が大好物だ。
中間教室の先生は、小・中・高の教員免許を持っていて、幼稚園の園長先生も経験していて、風のウワサでは、この辺りの教員の中では「数学の大家」らしい。
私はこの先生の、答えを導き出す過程をきっちりと書かせるという算数の教え方が好きだ。
暗算で解けてしまうような式であっても、それを書かせるという非合理的な教え方が好きだ。
最初は「意味ねぇ〜」と言っていた2号も、今ではあたり前に書くようになった。
そこまで行き着くには、2号とおっちゃん先生との長い攻防戦があったのだけれど・・・
そんな非合理的な時間を費やしている2号だけど、算数の理解度だけは担任も驚く。

それに引き換え、学校に行っている1号は
「答えを導き出す式を全部書きなさい」という私に
「先生は答えが合ってればいい、って言ってるしぃ〜」と言う。
私は時々思う。
「中間教室に行った方がちゃんとした勉強出来んじゃないの?」


続きを読む
posted by チャマ at 18:02| Comment(0) | TrackBack(1) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

けらけら笑う、というコミュニケーション

『けらけら笑うためのモード変換』をするというウッチー先生。
なぜそんなことをする必要があるのだろうか?
その技術を駆使することに、なんの意味があるのだろうか?
ウッチー先生は学術的視点からそうすることを選択されたのだろうか?
それとも自然とそうしている自分がいたのだろうか?

なんで私がこんなにウッチー先生の「けらけら笑うためのモード変換」に拘るかと言うと、同じことをやっている自分が存在するからだ。
で、たまぁ〜に「いーのかオレ?」なんて思うからなんだ。
なぜ「いーのかオレ?」と思うんだろうか・・・と考えてみると、それは「コミュニケーション」から逃げている自分を認めるからだ。
続きを読む
posted by チャマ at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月18日

PTAって・・・

数年前にPTAの役員をやりました。
で、歴代のPTA役員がこの時期、集まって宴を開くのですね。
で、今年の幹事は私とその年の会長さんでした。
で、私はすっかり忘れておりました、幹事だってことを・・・

数週間前に宴開催の通知を頂き、差出人に自分の名前を発見して「あ゛!」と思い出した訳です。
時すでに遅し・・・
私がやったことと言ったら、当日飲物を注文してたくらいです。
役員だった時も、終わった今も、PTA活動になんの貢献もできなかった私でございます。
幹事長さま、教頭先生、ごめんなさい・・・もうやだ〜(悲しい顔)

このPTA活動というもの、私にはどーしても方向性の違いを解消できないのですね。
今年なんかは本当にいろいろな活動をされていて、この世知辛い世の中のせいもあって、防犯に対してとても力を入れてくれました。
ワークショップを開いたり、防犯カカシを作ったり、巡回パトロールを始めたり・・・
管内他校のPTAのみならず、他地域のPTAからも模範視されていて、地元の新聞やらにまで載ったりしたのですが・・・
なんか違いませんか?って思うのは、私が天邪鬼だからでしょうか?


続きを読む
posted by チャマ at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

にじいろのさかな

古い話で恐縮ですが・・・

何年か前、息子達がお世話になっている小学校の人権ナントカってイベントで、読み聞かせの会をやっているお母さん達が「にじいろのさかな」なる本の朗読をやってくれた。

お話は・・・

にじいろのウロコを持つ魚は、みんなの人気者。
でもあまりに高慢ちきで、実はあまり良く思われていないってカンジ。
ある日、小さな魚が「ちっちゃいのでいいから、ウロコを一枚くれ」と言ってくる。
「ふざけんな」と断る。
すると世間では、大バッシングの嵐!仲間はずれの日々・・・
疲れ果てたにじいろのさかなは、タコのばぁさんに相談する。
で、ウロコをみんなに配る。
そしてウロコは最後の一枚だけになって、にじいろのさかなは幸せを感じる。
でもって、さかな社会で幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。。。


こんなカンジ。

後日、「今後の参考に感想を書いてください」アンケートが配られたんだけど、
「感動したわーい(嬉しい顔)
「いい話をありがとうるんるん
というのがほとんどだったらしい。



続きを読む
posted by チャマ at 11:33| Comment(2) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。