2008年01月26日

あやうく除籍!

休学に該当するような理由とはいえず、
さりとて昨年幕を閉じた勤務先のここ2年弱(ちなみに勤務年数は通算2年4ヶ月ナリ)のドバタバと、
少年野球の保護者会長を陰で支える妻となってしまった昨年だったので、
気力体力経済力休日ともに余裕もなく、
先送りに次ぐ先送りで3学期間、
放送大学での科目選択を見送っていたのであります。

はなから卒業できる見込みがないところに、
ダメを押すように1年半という貴重な時間を無駄にしていたのであります。

これはイカン!

流石にノンキな私もふらふらあせあせ(飛び散る汗)どんっ(衝撃)



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2008年01月24日

標準語

昨年末くらいから今日まで、時間と心にゆとりがあったせいなのか、結構本を読んだ。
養老さんの『こまった人』、矢幡洋さんの『凶悪殺人と「超能力者」たち― スキゾタイパル人格障害とは何か―』、養老さんと茂木さんの『スルメを見てイカがわかるか!』、丸田俊彦先生『セラピー練習帳』、乙武洋匡さん『だから、僕は学校へ行く!』。
そして今途中なのが、小此木啓吾先生と河合隼雄先生の『フロイトとユング』、アルヴィン・E・ハウス(上地安昭監訳・宮野泰子訳)『学校で役立つDSM-W』、ハリポタ7原書。
ってな内訳になっております。
近日中には、放送大学の面接授業で参考図書として紹介されている2冊が届く予定。

・・・にしても偏ってるなぁ・・・わーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)

偏っていることは視野が狭くなり、思考の幅も狭くなり、あまり好ましく無いことかもしれません。
が、似たようなことを複数の「有識者・博識者」と呼ばれているだろう方々がそれぞれどのようにお考えなのかということが判り、それについて自分はどのように考えるのか、それはどうしてなのだろうか?と追究していく作業は、自分ってナニモノ?を探る上では有意義なんじゃないのかなぁと思われます。




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2007年12月11日

「人格心理学まとめ」 −1− 人格の概念@

放送大学に受講科目申請こそしていませんが、「自主勉」という形で今期は「人格心理学」を学んでおります。

認定試験が無いというのは恐ろしいことで、なんとまぁきれいさっぱりTV講義を忘れてしまうものですなぁ・・・がく〜(落胆した顔)
これを「自主勉」などと威張って良いものかどうか?????

然しながら、学校のお勉強ばかりがお勉強ではござりませぬ。
どこをどう転んでも「学問」というものの全てがこの世の現象についての追求・探求である以上、この世にいる限りは多少なりとも学ぶことは可能だろうと私は思っています。
そして多少体と頭の出来は違っても、同じ人間であれば先人が見つけ証明したことを感じ取ることくらいは出来るだろう、って思います。
彼らは何も無いところからそれをやり遂げたのですが、少なくとも私には感じたものを右から左に受け流さずに調べるためのツール「テキスト」を、(それらが全てを教えてくれるわけではありませんが)持っている訳です。

これまで大した量は勉強していませんが、それでもかなりの割合でこれまでの私の人生で感じてきた様々な「何か」の正体(正体をつかむきっかけも含めて)が判ってきました。
そしてこれから先、もっと勉強していく中で「何かの正体」は実は別のものであったという発見もまたされていくのかもしれません。

放送大学で学んだことを持ちながら、いろいろな本を読んだり日々の生活を営んでいるとこれは不思議。
以前とは違うスパイスが効いた味が出るのですね。
新しい美味しさを発見した、ってなカンジです。

ひき肉とたまねぎをこねたらハンバーグ。
キャベツで巻いたらロールキャベツ。
丸めて揚げたら肉団子。

ま、肉団子はハンバーグに合う合い挽きより豚挽きの方がおいしいですが・・・

勉強もまた然り。
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2007年08月10日

自主勉

散々悩んだ挙句・・・という程は悩んでいないんだけど・・・後期もまた、自主休学することにしました。
でも、今年で改正される可能性絶大な『人格心理学』がど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しても捨てきれないので、自主勉することにしました。

なんか、入学した意味ないなぁ・・・と気付きつつも、気付かぬ振りをしている自分がホラそこに・・・


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2007年08月06日

後期履修しようかな

生活があまりに目まぐるしく、休学届けも出さずに自主休学中の放送大学です。
このクソ忙しい中、それでもガンバッテ履修してみようと思える科目が無いことも理由の一つにあります。
ただ、以前から科目認定テストの日程が合えば受けたいなぁと思っていた科目があります。
今年の後期履修申請期限は8月9日本部必着です。
どーしよーかなぁ・・・


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2007年03月21日

サボッてますが・・・

前期、今期と放送大学の科目申請をしなかった私です。
ようするに、実質休学状態という訳です。
ま、自主休学ってやつっすかわーい(嬉しい顔)たらーっ(汗)

理由としては、勤めている(いた)会社がおかしくなっちゃったことが第一に挙げられます。
現在も同じ場所で同じ業種の会社に勤めてはいるものの、社名も組織も丸変わりしています。
働く環境は(お給料を含めて)とてつも無く厳しいことになってます。
詳しいことが書けないので歯痒いですが、ま、大変なことになってます。
平日の認定試験なんて以前に増して受けられる筈もなく、心惹かれる科目はあるものの、勉強する時間と試験を受けに行く時間のやりくりが出来ないことがサボっている理由です。

そしてもう一つには、息子がお世話になっている少年野球チームの責任者をおとーさんが受けてしまったということです。
練習は週末の土日だけですが、それ以外の平日にも、ヤレ大会の申し込みだの連盟の会議だの名簿の作成だの連絡プリントの作成だの、毎日何かしらやらなくちゃならない事が発生します。

仕事と野球のスウィッチすら上手くいかないのに、そこに放送大学のお勉強なんぞ、とてもじゃないけど入れられませんって・・・

今の私の唯一の現実逃避は、そう、「湾岸MIDNIGHT」であります。
借り物なので、お風呂で読めないのがチョット・・・


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2006年07月29日

単位認定試験はパス!

今日は選択科目の単位認定試験の日、です。
ということで、昨日は仕事をお休みした勤労学生でありました。
が・・・・・・

単位認定試験は今回パスすることにしました。
その理由は2つ。

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2006年04月02日

子ども・青年の生活と発達

放送大学のテキストが、先週届きました。
テキストが届くまで、自分が何を選択したのかすら忘れてしまいました。
いや…その…毎日雑多な仕事に振り回されて、さっきのコトすら忘れる始末の毎日で、数週間前のことなんぞ覚えてられませんってぇ。

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2006年02月03日

来期は子ども・青年の生活と発達

放送大学の来期科目申請の真っ只中です。
で、土曜日のイ〜時間に認定試験がある科目の中で、選択してみようかなぁと思ったのが

「子ども・青年の生活と発達 '06」です。
詳しい内容はコチラからご覧くださいませ。
 ⇒http://esv.u-air.ac.jp/campus2/asp/syllabus.asp?bunya=12

新設された科目ですから、果たしてどんなモンかは判らないのですが、丁度その時期の子どもがいますので、ま、いっかなぁ〜って安易に決めてしまいました。
前に選択した「生涯発達心理学」の、子ども・青年期ピンポイント版ってカンジみたいですね。

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2005年11月20日

生命と人生の論理 第8回

選択科目申請に失敗して、今学期は休学していないながらもナンも学んでいない現役放送女子大生の私でございます。
とは言え、サルよりもずぅぅぅっと先のことを想像できるから、「来学期はナニを選択しようかなぁ」なんて思いつつ、「単位認定試験が楽なヤツがいいなぁ」なんて思いつつ、TVのチャンネルやラジオの周波数を放送大学に合わせることも、たまにはあるのでございます。
大抵は全く興味もナンも無い講義に出くわすことが多いのだが、今日は珍しくヒットした。
あ、昨日になってた・・・

午前中にラジオでヒットしたのが『ユング心理学』
これには、ちょっと失望・・・
山姥が・・・とか、父殺し・母殺しが・・・とか、なんか民話や童話がどーたらこーたら・・・
でも、まぁ、前期に選択した「学習・科学」よりは興味があるかも・・・
でも何故ユングに山姥???

午後になって、TVでヒットしたのが『生命と人生の倫理』
これは「科目案内」を読んだ時に、ちょっと興味無いかも・・・と思っていた講座。
ところがところが、今日の内容はおもしろかったっす。
講義タイトルは
「個人はどこまで自由か」exclamation&question

本来この講座は、生命操作なんてことが主題の筈で、脳死だとか臓器移植だとか、そんなことが科目案内に書かれていたように思う。
脳死だとか、臓器移植なんてことは、「私の身体なんだから、好きにしていーじゃないのさ」という自由がどこまで許されるのか、という問題に引っかかってくるために、今回のような内容も含まれるのだろうか。
たまたま見た回がそーゆー回だった、ということなんだろう。


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2005年09月14日

2005年度 1学期単位認定試験 結果

今日、放送大学から先日受験した単位認定試験の成績通知書=結果が送られてきました。
2学期の科目申請に失敗した身としては、例え再試験=不合格という結果でも「別にいいしぃ〜」なんて、結構余裕〜に構えておりました。
昨年度2学期に選択した「心理学初歩」に比べて、今学期選択した「生涯発達心理学」「学習科学」は共に「もう一つ勉強し切れなかった」と思っていました。
「学習科学」なんて、「もう一つ」どころか、勉強したなんてとってもじゃないけど言えません!そんな大それたこと!!でした。
一夜漬けどころか、試験前の3時間程度でほとんど初めてテキストを読んだ、って程度でしたから、もちろん放送講義なんて1回も視聴しておりませんでした。
試験直前に根を詰めすぎて、吐き気すら覚えながら試験に臨んだ訳です。
もう、「無理無理、ゼッタイ無理」・・・
どちらの試験共に、4択という「運を天に任せる」的な望みしか持てない不甲斐無さ!

と・・・思い切り言い訳を書いておいて、逃げ場を作って・・・っと(泣)




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2005年08月01日

「生涯発達心理学」まとめ −5−

★ 児童期(1)・子ども時代の環境世界

原風景としての子ども時代

生涯発達の過程の中での子ども時代をとらえるとはどのようなことか。

1.個人の人生という時間軸からの視点
  発達の時間軸は、過去から現在、未来へと直線的に進むことが想定され、
  各事象は因果性の観点から位置付けられる。
  同時に、すでに大人になった者によって思い出される
  「人生の一時期」としての側面を持つ。
   ⇒生涯のさまざまな時期に回想され、再体験される
      「原風景としての子ども時代」
  ブルーナー・・・文化の中に生きる人間の生涯を意味ある全体に編み上げて
           行くプロセスを「自己の物語」としてとらえている。
             ↓
       生涯発達心理学の課題は、さまざまな文化的な文脈の中で語られる
       人生の物語(ライフストーリー)を解釈し、それぞれの行為者に
       よる意味構成のしくみを理解することにあると言える。

2.世代の連鎖の中で子ども時代を見ていく視点
   「子どもは常に大人からいろいろな思いを込めて“まなざされる”存在であり、
    大人はまた子どもからその複雑な思いの中で“目指される”存在である」という
    大人―子ども間の「関係性」として子ども期をとらえ、
   「育つ者は育てる者になっていく」世代間サイクル過程を取り扱おうとする
    関係発達論の視点。
従来の発達心理学⇒個人を単位
関係発達論⇒親と子の対を単位とし、2世代あるいは3世代のサイクルの相互関係をとらえる

ライフヒストリー・・・家族アルバムなどに見られるような、それぞれの時期の
              状況・情景を結びつける脈略。


生態学的な視点からみた児童期の発達様相

バーカー「One Boy's Day」・・・子どもたちが実に複雑な環境世界にいきており、
                ごく普通の日に子どもが関わりをもつ環境対象は
                大人が想像する以上に多様であり、かつ豊富である。
「行動場面(行動セッティング)」
   子どもが関わりを持つ環境が、一定の空間的、時間的な境界を持ち、
   一定の行動プログラムが繰り返される場面から構成されている。

私達が住んでいるコミュニティの生活の質は、行動セッティングの生態によって規定される。


子どもの遊び

子どもは大人以上に周囲の環境や出来事に関わっており、特にそれは「遊び」的な行動の中で顕著である。
○ 自学を中心とした一定範囲の行動圏の中で行なわれる。
○ その範囲を規定する作用力に関して、年齢や性の別のない共通点が見られる。
  (ハート「子どもの場所体験」研究)
   ・内的な力
     探索への好奇心とその逆関数である未知の領域への恐れの感情
     ⇒年齢が上になるほど、恐怖にうちかってより先の領域を
      探索しようとする傾向が強くなる。遊び空間を拡張する方向へ引っ張る
   ・外的な力・・・親の禁止が伴っていることが多い
     遊び空間を拡張しようとする作用に抗う力
      自然の地理的境界線(川、高速道路、鉄道、森林など)
子どもの空間は、拡張しようとする力と縮小しようとする力の均衡の中で形作っている。
子どもの遊び空間は、物理的な環境条件に枠づけられながら、親や大人の禁止・監視などの社会的制約の中で一定範囲を形作る。


子ども世界の拠点
・秘密基地…心理的な機能として「隠れる」「隠す」という作用に注目
・子ども道…距離短縮という実用機能、大人からの禁止や危険性と隣り合わせの
        スリル感
・お化け屋敷…強い感情喚起をともなった場所。遊び空間のある種のアクセント。
          物語性。
・子どもの地名…仲間同士にしか判らないという連帯感?

子どもの遊びの世界は、大人による社会的な現実世界の中において、子ども達自身のコミュニティを作り出している。大人の命じる禁止や社会的なルールとは異なる子ども独自の社会を作り出す機会ともなる。

環境世界から見る子どもの発達の方向性
家中心、家族関係の中で展開 ⇒ 家から離れた領域へ拡張、仲間との関係

親・家族との距離化を含んでいる
        ↑ 寄与・関与
環境を認識し、社会的なリールを理解する認知能力などの発達
仲間関係の発達の次元

公園などの意図して作られた場よりも、
街中などの複雑な環境が子どもの遊び場となる。


子どもの遊びが成立するための3つの要素
★時間 ★空間 ★仲間

現代の子どもはこの3つの「間」がなかなか揃わない

通学路は揃う。



子どもを取り巻く社会的生態学
子どもの生活環境と言う時、生活の背景・文脈を形づくる社会のしくみ、制度や文化、経済状況、あるいは時代といった社会状況が含まれる。
子どもを取り巻く環境が社会システムによって入れ子状に構造化されている。
(ブロンフェンブレナー)

マクロシステム
世界構造
文化 社会 世界経済 民間国際機構 政府関連国政機関 多国籍企業

外部システム
社会構造
価値観 教育機関 宗教団体 国防 国家・民族主義
社会階級構造 国家行政部門・・・

中間システム
マイクロシステム間の結びつき
近隣関係 親類関係 仕事の領域 医療サービス 学校
社会事業 ボランティア組織 教会 市場・・・

マイクロシステム
直接の相互作用関係
家族関係 兄弟姉妹関係 同輩 仲間 集団 親子関係

*下の階層から内側にある


ブロンフェンブレナーによれば、人間の発達は、親子関係が生活体験のほとんどを占める乳児段階から始まって、より多くのそして上位のシステム要素を生活空間に組み込んでいく「生態学的移行」の過程として記述される。
システム間の移行がスムーズに行なわれるかどうかは、各要素の連絡の状態によって異なることが予測される。
幼稚園・保育園への入園や学校への入学などの人生事件(ライフイベント)が、生態学的移行の機会となる。




以上、第6回講義分3/4

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2005年07月27日

2005年度1学期 単位認定試験終了

終わったぁ〜〜〜!!!

普段使わない脳みそを最大限に活性化させたためか、一夜漬けの寝不足のためか、疲労困憊です。
今朝なんて、ココ一番の栄養ドリンク飲んじゃいましたからぁ〜

「生涯発達心理学」の方は、まずまず、、、かな?
エントリ兼ねてまとめることが出来たのは、たったの1/3でしたけど、一通りテキストは読んでいた訳ですし、TVでの講義も観た訳ですし、なんとかなる、カモ、です。
カモがネギ背負って(ショッテ)飛んで来てくれるかも、です。

「学習科学」の方は、案の定、ダメダメでした(涙)
「生涯発達心理学」の試験を最低限の30分で終えたので、「学習科学」の試験までの3時間以上もの時間は、テキスト読みまくりました。目が疲れて、吐き気すら覚えました。
でも読み終わったのは13時限分まで。それも流し読み・・・
しかも読んでいない2回分から、2問ほど出題がありました。ナニガナニヤラ・・・

両方共に、4択のマークシートで、「〜に関して適切なものはどれ?」「〜に関して不適切なものはどれ?」という問題でした。
ひっかけが多い、多い!
「・・・・・(ずっと正しい説明文)である、とはいえない」とか
「・・・とは必ずしもいえない」とか
知識を試験している、というよりも、読解力テストってカンジです。
とは言え、きちんと学習したことが身についていれば、そんなことは全然気にならないのだと思います。
「学習科学」なんて、折角正解にマークしてたのに、迷いに迷った挙句、不正解に書き換えてしまったおバカな私。
それもまた、学習が身に付いていない証拠、ということなんでしょう。
あ゛〜〜〜、悔しい!
悲しいかな、「学習科学」に関しては「あ、これ読んだ。でもどこだっけ?」なんて、テキストのイメージすら浮かんでこない有り様で、それこそ「学習科学」を勉強しなさい、ってカンジでした。

制限時間は各50分ですが、30分を過ぎた時点で退室しても良いのです。
「生涯発達心理学」は、書き損じがないかチェックを終了したところで、キッチリ30分。
「学習科学」は、何度考えても判らんものは判らん!とあきらめたところで、30分。
ということで、中身に違いはあれ、両方共に30分で退室してきました。

験を担ぐ訳では…あるのですが、前回の「心理学初歩」も「生涯発達心理学」も最後列の席でした。
「学習科学」はスタートダッシュが遅れてしまって、前から2番目という微妙な席でした。
はやりダメでしょう。。。

それにしても解せないのは、前回テキストの持ち込みが許されなかった「心理学初歩」が、今回は持ち込み可になったことです。
私の場合、ランクBでやっとこ合格だったのですが、テキスト持ち込んでたら、100点取れたと思います。イヤ、絶対取れたな。
でも今回のような有り様だと、「学習科学」はテキスト持ち込んでも合格できないでしょうけど。

泣いても笑っても試験は終了してしまいました。
不合格になったら2学期に受け直すことになります。
新しい講座も受講しなくてはなりません。
いかに会場へ足を運ぶ回数を減らし、自分が受講したい講座、それも試験時間が早くもなく遅くもない時間のものを選ぶかは、4択の試験問題よりも難しいかもしれません。
そしても出来ることならば、9月までの集中講義期間に全講義が放送される講座が望ましいのですけどね・・・
posted by チャマ at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月26日

「生涯発達心理学」まとめ −4−

★ 乳幼児期における社会的世界の広がり

子どもの対人世界の広がり

大人
親・保護者など
       年長児(きょうだい など)
  |    / 
 タ|   /
  |  /ナナメ 1
 テ| /
  |/   ヨコ
 子ども −−−−−なかま
    \
     \ ナナメ2
      \
       年少児(きょうだい など)

タテの関係→力の差が歴然とした関係
ナナメの関係→大人ほど力の差がないはヨコ並びでもない関係
 チョット汚い図になったけど、こんなカンジ

子どもの対人関係は、タテ中心のものから
ナナメあるいはヨコ中心へと徐々に移行していく


子どもの遊びは、年齢が上がるにつれて
ひとり遊び→集団での組織的な遊びへ

より複雑で安定したやりとりを中核とするような遊び

対人関係の広がり、遊びの変化には、仲間とどのような
コミュニケーションがとれるかを考える必要がある
発達早期 = 言葉 < 感情


感情の諸特質
感情の働き
 @動機付け A行為への身体的準備 Bコミュニケーション など
感情生起のプロセス
<出来事>→<認知的評価>→<感情反応>(→<感情制御>)
                    主観的感情…気持ちの上での変化
                             (悲しい気持ち など)
                    生理的変化…背筋が寒くなる など
                    表情・発声
感情の発達
 @経験する出来事の多様化
  (特に移動能力の発達に伴う経験の広がり)
 A認知的評価の多次元化
  (好悪、新奇、解決可能性、責任の所在、将来展望 など)


生後3年間における感情の発達
             _____________
誕生〜生後6ヶ月 |充足  興味  苦痛     |
            |↓    ↓   ↓       |
 一次的感情⇒  |喜び  驚き  悲しみ・嫌悪 |
            |          ↓       | 
            |        怒り・恐れ    |
            |____________|
                      ↓
1歳後半  てれ、羨望、共感 ←−客体的自己意識の確立…生後2年目から
                                   飛躍的に発達
         ↑    |    |
      二次的感情 |    |
2歳半〜3歳  \   |    |自己評価的意識の成立
           \  |    |基準やルールの理解
            \ ↓    ↓↓
             → 誇り、恥、罪

子どもは人生の最初の3年くらいの間に、大人とほぼ共通の主要な感情レパートリーを備えるに至るのだと言える。


感情的コンピテンスの発達
EQ→感情的な知性⇒感情的コンピテンス

@感情制御の発達
              移行対象↓
 回避型対処 ――――――――――――――――――――――→
  (身体的慰撫・気晴らし) 嫌なことから避けようとする

     問題焦点型対処――――――――――――――――――→
                原因を取り除こうとする

          再評価型対処――――――――――――――――→
                    塞翁が馬みたいなヤツ
  養育者主導の制御⇒子ども自身による自発的な制御

A感情理解の発達
 快不快の区別 ――――――――――――――――――――→
     各種感情の区別 ―――――――――――――――――→
      各種感情の意味と
       その対象の理解 ――――――――――――――――→
         感情の主観的性質の理解 ―――――――――――→
                         自分と他者の違いを理解
                   共感性 ――――――――――――→

B感情調節の発達
 強弱の調節 ――――――――――――――――――――――→
   (聴象効果)
      ポーカーフェイス ――――――――――――――――→
          カムフラージュ ――――――――――――――→
  社会的表示規制の理解:他者への思いやりに基づく表現の調節


共感性の発達

1.原初的・反射的共感の段階:共鳴動作や情動伝染など
  (〜1歳頃)
2.自己中心的共感の段階
  (1歳頃〜)
3.役割取得に基づく他者志向的共感の段階
  (2・3歳頃〜)
4.他者の一般的窮状に対する共感の段階
  (児童期〜)


心の理論の諸特質

心の存在
 直接見聞きできない。
 外的手掛かりから推測されなくてはならない
  →なぜどのようにして子どもは心に気付くのか?
     「素朴な心理学者」になり得るのか?

心の理論
 心のはたらきや性質に関する素朴な理論
  →これがあるからこそ心を読み、行動を予測することができる。

心の理論の核概念
 欲求
  +   → 行為
 信念

誤信念課題
 人は現実と食い違う信念(思い込み)を持っていても
 それに従って行動するということが理解できるか
  → 心の理論のリトマス試験紙

 2歳代 ⇒ 欲求心理学の段階:行為の主導因として欲求のみに焦点化する段階
 3歳  ⇒  欲求―信念心理学の段階:信念が時に行為に絡むことに気付くか
         まだ欲求が信念以上に重視される段階
 4歳以降⇒ 信念―欲求心理学の段階:欲求と信念の両方を考慮し、
         的確に人の行為の予測ができるようになる段階
         「人はある何ものかを欲し、
          ある行為がそれを実現すると思い信じるから
           ある行為を起こす」という理解に到達する

以上、第5回講義分

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「生涯発達心理学」まとめ −3−

★乳幼児期の認知とことばの発達

赤ちゃん観の移り変わり
無能  1970年代頃  有能
受動     →     能動
没個性的        個性的
乳児実験の方法の進歩
☆生理的指標 ☆選好注視法 ☆馴化−脱馴化法 など

対象の永続性(ものが自分の眼前から消えて見えなくなってもそのもはちゃんと存在し続ける)に関する理解を欠いていると考えられていた

ある程度理解できている


ものの様々な特質に関する赤ちゃんの認識が、生後3〜4か月時点で既に大人とほぼ共通の枠組みを有することを示した研究もある。
早くから、生物と無生物、非固体と固体との区別などもしているらしい。
生後5ヶ月くらいの赤ちゃんは既に、簡単な数および足し算・引き算の概念も持ち合わせているらしい。
異なる様式で知覚したものを矛盾なく結び合わせる能力を早期段階から有している。
⇒赤ちゃんが生得的に「共通感覚的」あるいは「無様式的(超感覚的)」な認識の枠組み(例えば、舌で捉えるものも目で捉えるものと同じ共通の感覚として処理する仕組み)を持って生まれ、それを発達の進行とともに徐々に感覚様式ごとに分化させていくのではないか、と考えられている。

乳幼児期の認知発達
0〜2歳 感覚運動期
     ・「感覚入力→運動反応」中心の活動
     ・「いま、ここの世界」
     ・反射→シェマ(行動や認知の枠組み)「同化、調節」
2〜7歳 前操作期
     ・表象機能の発達 イメージやことば
     ・「はず、つもりの世界」(見立て、ふり、延滞模倣 など)
     ・非論理性・自己中心性・見かけへのとらわれやすさ
       不十分な分類・系統化
操作とは・・・実際に試行錯誤的に何か行為をしてみることをしないで、
        頭の中でことばや記号あるいはイメージなどを操り考えること

ことばの前のことば
〜原初的コミュニケーション〜
二項関係中心の世界
 ・二者間での意図や感情のやりとり・共有:第一次相互主観性
      子ども⇔母親
三項関係の登場(生後9ヶ月〜)
 ・第三のモノを間に介した意図や感情のやりとり・共有:第二次相互主観性
      子ども⇔母親
        ↓   ↓
        も   の
共同注意・社会的参照・機能学習
他者の視線操作+発声→原言語


ことばの機能

いま(現在)の世界 →   過去・現在・未来の世界
           +ことば
ここ(現前)の世界 →   非現前・架空の世界
コミュニケーション+思考の道具+行動の抑制

ことばの萌芽と発達
3ヶ月〜    ・喃語(「子音+母音」の反声の反復)
          (のど、くちびる、舌の調節)   ・ことばの理解
1歳前後〜  ・初語 一語発話             (初語より約3ヶ月前〜)
          (多様な意味/過剰拡張・縮小)
1歳後半〜2歳・語彙の爆発的増加 二語発話
          (電文体発話/助詞・助動詞の省略)
2歳前後〜  ・文節数の増加+基本的文法の獲得
5〜6歳    ・重文・複文なども可能に

ことばの発達を支えるもの
チョムスキー
 文法の獲得
 普遍文法 → <言語獲得装置> → 個別文法
              ↑
             言語資料

語彙の獲得
 ・相互排他性のバイアス(1事物1語の原則)
 ・事物全体のバイアス
 ・事物カテゴリのバイアス
 ・事物−話者視線対応のバイアス など

子どもの内在的要因        環境要因
普遍文法               養育者による足場づくり
語彙獲得装置      +     独特の対乳児発話
認知的バイアス など        パターン など
   |______言語獲得システム____|


子どもは、持って生まれた「言語獲得装置」のようなものと、環境からの適切なインプットの両方に支えられて、効率よくことばを理解しまた産出することができるようになるのだろう。


以上、第4回講義分
まだまだ先は長いなぁ・・・
posted by チャマ at 13:57| Comment(2) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「生涯発達心理学」まとめ −2−

★ 人生の出発:発達の基礎としての愛着

愛着とは・・・
何か危機があった時、潜在的危機に備えて
他の特定個体との近接関係を求めたり
維持したり回復したりしようとする生体の傾向


人は安全だという感覚
誰かから護ってもらえるという確信

心理的安定に重要

ヒトの赤ちゃんにおいては、他の生物種にもまして、この愛着というものが発達的に際立って重要である。

感情的絆の形成に関わる考え方
 一次的欲求            一次的欲求
栄養を求める欲求        ☆栄養を求める欲求
  ↓         ⇒      ☆人の関係を求める欲求  
二次的欲求   最近の考えは    生得的に人とくっついていたい、
人との関係を               関係を持っていたいという欲求が
求める欲求                備わっているらしい

ボウルビー.Jによる研究、ハーローの小ザルの研究などから・・・
人間の発達にとっては、誰かと関係することが重要なのではないだろうか。

人間の赤ちゃんの生物学的特異性
生理的早産(他の動物より早く生まれてくる=二足歩行のため)

身体的移動能力・栄養摂取能力
体温維持能力などの乏しさ

自分からはくっついていかれない

人の愛着形成は本質的に他者依存的
(他者に近付いてもらえて初めて成立)
周りの大人が重要な役割を持つ

△体重の重さ(父母子からなる家族ユニット
他の動物に比べて…重たい赤ちゃん、身体が小さい母親
△脳重の軽さ(関係の中で受ける刺激の重要性


大人の存在が人間の発達には重要!!

他者を引き寄せるためのメカニズム
 幼児図式・・・・赤ちゃん独特の身体的特徴の魅力
 社会的知覚・・・人らしさに対する知覚の好み
 社会的発信・・・様々な感情の表出
 社会的反応・・・他者の行動に随伴的に反応
           模倣・共鳴動作・感情伝染・相互同期性
赤ちゃんの視線・感情・同調は、大人の錯覚・養護感情・養護行動を誘発

愛着形成を支えるメカニズム
赤ちゃん            大人
 幼児図式            直感的育児 
 社会的知覚 →共進化←   ・各種養育行動
 社会的発信            ・情動調律
 社会的反応            ・対乳児音声(マザリーズ)など 

愛着の発達
第1段階(〜2,3ヶ月頃) 無差別的な注視行動と感情表出
第2段階(〜6ヶ月頃)   特定対象への注視行動と感情表出
第3段階(〜2,3歳頃)  能動的接触行動の開始 安全基地行動
第4段階(3歳前後)    表象的近接による柔軟な愛着
物理的接近⇒表象的接近

愛着に関する内的作業モデル(表象モデル)
・自己と他者およびその関係に関わる
 主観的確信
 例)自分は助けてもらえる存在・他者は
  近くにいて自分を護ってくれる存在
         ↓
その後の様々な人間関係の鋳型・人格発達の基礎として機能


愛着の個人差とそれを生み出すもの
乳幼児は養育者を自分の方から選びとることはできない。最初から割り当てられた、と言える養育者との関わりの質に応じて、自分の「くっつき方」を調整し、最低限「自分は安全である」という感覚を何とか保持しようとする。
この「くっつき方の調整」というところに、愛着の個人差の起源がある。

エインズワースによる、ストレンジ・シチュエーション法
子どもと養育者の分離・再会の場面を作り、行動パターンの違いを見る。

Aタイプ(回避型)
  親に無関心⇒子どもの働きかけに否定的、統制的な親
Bタイプ(安定型)
  適度な混乱と静穏化、肯定的な態度
   ⇒子どもの欲求などに敏感、相互交渉は調和的かつ円滑
Cタイプ(アンビヴァレント型)
  強い不安や混乱、身体接触を求めながら怒りを表出
   ⇒子どもに対して鈍感、反応に一貫性がない、親の気分や都合で応答が変わる
Dタイプ(無秩序・無方向型)
  接近と回避が同時的、継時的に見られる。固まってしまうこともある。
  理解に苦しむ行動を取る
   ⇒養育者自身に虐待経験があることもある、精神的に不安定、
    不適切な養育を施すこともある

生涯にわたる愛着の連続性
幼少期の愛着→内的作業モデル
  →対人関係・人格発達の基礎
ボウルビー.J「愛着は生涯にわたって連続する」
異型的連続性 幼児期の愛着とその後の社会的行動との関連
同型的連続性 幼児期の愛着とその後の愛着との関連

乳幼児期   就学前期・児童期                 成人期
Aタイプ 仲間に否定的な感情、攻撃的、孤立する傾向  愛着軽視(拒絶)型
Bタイプ 肯定的感情、共感的行動、友達関係が良好   自律型
Cタイプ 過度に注意を引こうとする、時に従属的      とらわれ(纏綿)型
      無視されたり攻撃されたりする傾向      
Dタイプ         ?                     未解決型

一方で、愛着の個人差は「気質」という観点から説明する立場がある。
Aタイプ 恐がりやすさという気質傾向が低い
Bタイプ AタイプとCタイプの中間的な気質
Cタイプ 恐がりやすさが高い

ある発達時点における子どもの愛着スタイルおよび適応性は、早期の愛着およびそれを基盤に形成された表象モデルと現今の環境要因との相互作用の中から生み出されてくる。また、そこに何らかの形で気質的要因が介在する可能性も否定できない。
愛着の時間的連続性は、こうした複数の要因が絡み合った結果と見て然るべきだろう。

早期段階の表象モデルには可変可能な部分が十分にあり、環境の変化に応じてその愛着を大きく変質させる可能性がある。
しかし、加齢が進行し、表象モデルが固まり始めると、自分が予測する方向に他者との相互作用を導いたり、自分にとってなじみやすい人を多く仲間や友達にしたりするようになるのかも知れない。
表象モデルに沿った対人環境を現実に選択し作り始める。
個人は、自らの表象モデルにとって異質のものを極力排除し始めるということになる。
必然的に表象モデルは変質しにくくなり、結果的に対人関係のパターンや人格も相対的に高い時間的連続性を示すに至る。

以上、第3回講義分
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「生涯発達心理学」まとめ −1−

とりあえず、テキスト読み完了、放送講義完了(ただし、撮り損なった2回分は見てない)、ということで、まとめに入ろうと思います。
って、明日試験なのに今頃こんなことやってます。
どうせまとめるなら、エントリしてしまおうかな、と。。。


★ 生涯発達心理学とは

18・19世紀の西洋における進歩の思想の展開の結果として形成されたものである。
かの有名なダーウィンの「種の起源」の影響を強く受け、進化論的発達観を基盤に形成され、生物学的視点に立って、個体発生、統計発生、そして社会の歴史的発展を関連付けてとらえようとした。
1880年代からの児童研究を近代の発達心理学の出発点とすると、その出発を準備した潮流の1つが、この進歩の思想であった、ということになる。

発達という概念には暗黙の価値=よさ、が絡んでいることが多い。
生物学的視点からは、発達のピークである成人期前期以降に「発達」という概念を適用することに抵抗を覚える人が少なくないし、また、世間一般の中でもそういう捉え方をしている傾向がある。
心理学の内部においても、生涯発達いう概念は受け入れられてこそいるが、その意味に関しては多様性があり、コンセンサスはない。エイジングに関しても同様である。
重要なのは生涯発達の意味の統一ではなく、その概念の重要な側面を整理し、自ら考える視点を得ることである。
人間の心理現象を発達的に理解する視点=発達的視点、ということになる。


★ 発達的視点

1.歴史的理解を重視(歴史的理解法)→19世紀の歴史主義の影響を強く受けたもの
 いま個人が示している心理的特徴を、そこに至る形成の過程を考慮に入れて捉える
 ⇔「今、ここ」を強調する非歴史的な立場とは区別できる。
2.方向性を持つ前進的変化ととらえる
 暗黙の価値(よさ)を含意 → ・発達遅滞・発達の停滞・退行 ・不適応などの概念を
 生む
3.徐々に社会・文化的条件の働きに気付く

発達的視点の具体例
・認知発達理論・・・ピアジェなどによる。
 個体は乳児期からの環境との相互作用によって、質的に区別できる発達段階を
 たどって認知機能が発達する
・段階理論・・・エリクソンなど
 個体の生物学的過程の進行の影響を受けながら、社会・文化的コンテクストの中で、
 方向性をもって進行する個人の心理社会的発達ととらえようとしたもの

変化する環境との間での適合的な関係を維持し続けようとする心理的適応過程に注目する見方も有力になりつつある。
また、発達理論として提起されているものの多くは、領域・年齢範囲を限定しているし、時代と文化を超えた発達理論が成立するは言い難い。発達の包括的な一般理論は成立しない可能性が高い。
自分が問題にする発達的事象の理解と解明に有用だと思う理論を選び、適切なものが見付からなければ、自分で理論を改変したり構築する。


★ライフコースとライフサイクル

ライフサイクル・周期性・標準的なパターンに注目
         ・世代間関係
家族周期   ・時代的変化
ライフコース ・社会変動→人生移行のタイミングの変化
         ・時代的変化 軌道の多様性 人生移行のパターンの明確性の低下
個人も環境も閉じたシステムではなく、オープンシステムである。

社会通念(期待、評価など)は社会的処遇(慣習、法律など)と相互関係を成す=社会システム
個人の発達やエイジングは経験と相互作用を成し、社会システムは個人の経験と相互作用を成す。
そして社会システムと個人もまた、相互作用を成す。

人間の発達は遺伝プログラムを中心とした生物学的な条件の制約を受けている。
それを受けながら現実の社会で非常に長期間にわたって進行する、非常に複雑な過程である。



★研究の課題と方法

年齢関数R=f(A)
  R:発達の指標(量的、質的)
  A:年齢の指標
 質的な発達の指標は、発達の質的側面を重視する段階理論と結びついたものが多い。

20世紀前半の発達研究は「○歳になるとナニが出来る」という年齢関数の情報を確保することに力点が置かれたが、20世紀後半には○歳であることの中身(個人の諸条件と環境の諸条件との相互作用の結果の蓄積)を分析的に問題にすべきだという立場が強調された。

発達の指標は、研究者が拠り所とする観念に依存したものである。
○○の発達、というときに、○○という概念をどう捉えるか、それをどのように測定するかが問題となる。
年齢範囲を限定すること、測定値の比較可能性を検討することも、必要である。

縦断法
一群の対象者を確保して繰り返し調べて、その年齢的変化を直接とらえる方法。
 結果を得るまで長期間を要する。対象者の脱落などのために対象集団の代表性の問題が生じる。
 きちんと収集・分析した結果が、社会的・文化的条件の変化にかかわらず他の世代にも当てはまるか(一般化可能性の程度)も検討を要する問題である。

横断法
年齢を違えた複数個の対象群を同時点で調べて、その年齢差から年齢的変化を推測しようとする方法。
 縦断法よりも効率が高い。
 年齢以外の要因(性別、社会階層など)が、全ての年齢群間で差がないように、対象の選択に注意を払う必要がある。
 見いだされた年齢差には、出生年コホート差が混入している可能性がある。

時代差法
 1つの社会で年齢を固定した測定を繰り返し、それに時代差があるのかを調べる方法。
対象者の代表性(片寄りのなさ)に加え、測定尺度値の時代間の比較可能性の問題がある。

研究の開始時期を組織的にずらした長期間にわたる縦断法をいくつも繰り返す系列的方法を実行することは不可能に近い。しかし、単発の縦断法や単発の横断法の問題点を解決するための系列的方法の効率よい組み合わせは考案可能である。

縦断データの収集法
 プロスペクティヴ法
  通常の縦断研究がとる方法
  最初に研究目的に即した参加者を募り、個人と環境に関する多面的測定を
  継時的に行なう。
  比較対象群を設定したプロスペクティヴ法が採用される場合もある。
   (生起確率の低い臨床的ケースが発生する過程を探る場合など)

 レトロスペクティヴ法(多くの臨床的研究で用いられている)
  発達途上の後の段階でデータ収集を開始するもの。研究群と比較する対象群を
  確保する。
  どちらの群に関しても過去のデータに関しては、既存の記録で利用できるものに
  限られる
  という制約がある。記録が存在しないときには、関係者に回顧的報告を求めざる
  を得ないが、報告者の現在の条件の影響を受けたものである。

レトロスペクティヴ法を用いて出発した研究が、その後にも追跡を続けると、対象選択の問題は残るがプロスペクティヴ法につながる。

発達の機構の解明
 実験的方法
  ・訓練、変容実験(比較的短時間)
  ・介入実験 (もっと長期にわたる)・・・倫理と技術の両面の問題がありなかなか
                      行なえない。
 (・実際はどのように変わるのか?…発達のコースの記述の答え
  ・どうしたら変えられるのか?…一時的ではない、持続的な変容)
 相関的方法
  人為的操作を加えずに、人々とその環境との両者に関して現実に存在する散らばりを利用する。

どちらの方法にも、対象とする事象が生起する機構に関する何らかの理論的モデルが必要である。


以上、第2回講義分まで
posted by チャマ at 11:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月22日

意識のズレ

放送大学「生涯発達心理学」の8時限目。
「思春期:子どもからの脱皮と揺れ動く心」
を、やっと今日見た。
いやぁ〜、明日から単位認定試験が始まるってぇのに、来週の水曜日には試験だってぇのに、いったいナニやってんだか・・・やっと半分かよ・・・
ま、それはとりあえず置いといて、っと。

講義の中で言わんとしていることは、
・環境移行、特に学校移行というのは子どもにとってストレスになりやすい
・殊に、中学入学は思春期と重なっているため、子どもにとっては負担が大きい
・思春期の子どもには、他の時期以上に子どもと環境との適合性(適合の良さ)に
 配慮することが重要である。
・教師も保護者も、大人として子どもの発達を支えるための環境を用意し、
 整える。
 そして子どもに対して何らかの期待や要求をするものである。
・重要なことは、その環境や期待・要求が子どもが望んでいるものか、また、
 子どもの
 発達的特徴と一致しているのか、ということである。


ということを踏まえて、じゃあどうしたら良いのか、ということなんだ。

まず、思春期ということについて。
思春期というのは、身体的な変化が著しく「成長のスパート現象」と呼ばれる。
この変化は個人によって差が激しいのだが、その変化は子ども本人だけでなく、周囲の人間にも影響を与える。
徐々に大人びていく子どもを見て、それまでと接し方を変えたりする親や異性が良い例だと言えると思う。
そしてその周囲の変化が、子ども本人にも影響する。
また、変化の個人差が劣等感を生んだりもする。
性的成熟は性的欲求という新たな欲求を子どもに授けることになる。
そういった身体的な変化は心理的にも影響する。
また、思春期にある子どもは自我の成長に伴って様々なことを自分で意志し、決定したいという欲求が現れてくる。
これまでは親の価値観に基づく「躾」として形成されてきた習慣を捨て、新しい習慣を獲得することを学ぼうとする。
親に依存していたいという欲求と、自立したいという欲求の間の葛藤が見られる。
親からの情緒的離脱はすなわち、社会の中で新たに情緒的な依存対象を求める動きにつながる。
自律性と愛着のバランスが重要である。

思春期というのは、人格の再構築の時期と言えるだろう。
それだけ乗り越えなくてはならない課題が多い時期である。

次に環境移行について。
環境移行において、「物理的環境」「対人的環境」「社会・文化的環境」の3つ全てが変わる移行は、新しい適応を要求されるため、ある種
「キキ的な移行」と言える。
「キキ」には2つの意味があり、一つは「危ない」という意味を持ち、もう一つには「チャンス・機会」という意味を持つ。

思春期という揺れ動く時期に中学校入学という「キキ的な環境移行」が行なわれることが、小学校よりも中学校の方により多く問題を抱える子どもが現れる背景として考えられるかもしれない。

中学への学校移行に際しては、大人からしてみればどうでも良いと思われるような小さなことでさえ、不安に感じたり、不満に感じたりするのだが、そんな不安をきちんと意識したり、言語化したりできないことも多い。
「いったいナニが不満なのだ?」・・・「イヤ、その、なんとなく・・・」という具合に。
そして、その不安や不満を大人に開示するとは限らないのだ。

自分でもよく判らないけど確実にある不安や不満を、子ども自身の中で持て余す、ということかもしれない。持て余す、ということは、その解決も出来ないのかもしれない、なんて思った。

では、どうしようか、ということになる。
中学のみならず、学校移行に際してはその移行ができるだけ子どもにとってプラスになるような大人の支援が重要となる。
その支援は、子どもが望んでいるか、または子どもの発達的特徴とよく一致しているか、ということが重要になってくるのだろうと思う。

しかし、世代も違えば時代も違う、社会も変化している大人と子どもの間には意識のズレがある。
同じ大人という立場であっても、教師と保護者の間にも意識のズレがある。
そのズレをどう解決していくのかが、重要な課題となる。

子どもと教師・保護者間のズレ

・ズレがあるからこそ、お互いが成長する
・教師・保護者の前で子どもが自分を出せるようにすることが第一歩であり、
 そうすることによって子どもを理解することが可能なのである。
・一方的な押し付けは時としては必要だが、そればかりだとズレが不信感
 なってしまう。


教師と保護者間のズレ

・自分の経験してきたことを土台にした枠組みで人を見てしまうために、
 意識のズレは起こる。
・その人の言い分やその背景を出来る限り汲取り、理解を試みる姿勢がないと
 信頼関係は生まれてこない。


結論としては、ズレを無くそうとするのではなく、ズレを正しく認識し、自分の考えを表現し合える関係のあり方やプロセスが大切なのである。
大人として必要なことは、個々の意見を尊重し、理解を深めようとする態度が必要である。
子どもを対象化して理解するのではなく、その中に自分との関係も含まれるのだと理解する努力が必要である。


ということなんだそうだが、果たして今の教師、今の親はどうだろうか?
対象化して理解しよう、矯正しよう、教育しようということは、マニュアル化ということではないだろうか。
人間という生き物はあらゆる面で楽を求めるように出来ている。
種の保存に直結する子育てにおいてさえ、こうしてマニュアル化しようとすることすら、人間という生き物ならではのメカニズムかもしれない。
マニュアル化は無意識下の欲求、イド、なのかもしれない。
しかし、そのイドをスーパーエゴが抑えてこそ、良好なエゴが生まれるのではないだろうか。

意識のズレなんてものは、絶対に無くならない。
権力や威厳や立場なんかを利用して、力ずくで意識のズレを解消しようとするのではなく、互いのズレを認識し、理解を試み、互いに成長することを試みるべきだろう。
お互い様、なんじゃないだろうか。

さてさて、今の社会で言われているところの「適応」だとか「コミュニケーションスキル」だとか「みんな違ってそれで良い」なんて言葉には、そんなお互い様ってカンジは受け取れない。
人権も、個性も、オンリーワンも、なんだかとってもウソ臭いって思う。

そう思うのは、私がそんな言葉からはみ出た人間だから、そう思うんだろうか?

なんて考えながらマメにメモっていたら、今日はこの1時限だけでかなり時間を使ってしまった。
はぁ、腰も痛いが頭も痛い。
とか言いながら、なんでブログ書いてんだろう?
ねぇ!
posted by チャマ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月10日

通信指導結果 −2005前期−

先週末、立て続けに通信指導結果が届きました。
これに合格せねば、今月末に行なわれる単位認定試験の受験資格が頂けません。
ところがところが、通信指導問題は、講義の半分=8回が終了したくらいに届きます。
そして範囲もその8回目の講義まで、ということなんですが・・・
正直、そんな頃はテキストもロクロク開いてなくて・・・問題読んでも「ナニいってるかわかんなぁ〜い」ってカンジです。
通信指導問題はテキストを見ながら解けるので、設問の箇所だけ熟読すれば全問正解できる
、、、ハズ!
して、その結果は・・・

「生涯発達心理学」(マークシート) ⇒ 設問8中 6問正解
 ⇒ 通信指導合格

「学習科学」(記述) ⇒ 『興味深い例ですが』(手書き)『もう少しテキスト内容と関連づけた考察を加えてください。』(印刷された付箋)
 ⇒ 通信指導???

という結果でした。
ナゼにテキストを読みながら問題間違っちゃうんでしょうね???(~~+)
で?「学習科学」はいったい単位認定試験を受験しても良いのでしょうか?判りません。
どこにもそんな記述がありません。
試験直前になれば単位認定試験の受験票が送られてきますから、そしたら判るんでしょう。

それにしても、もう少しテキスト内容と関連付けて、って言われてもねぇ・・・
正直なところ、「学習科学」は受講選択をミスりました。
ほとんどテキストを読んでないどころか、ビデオもすでに数回分録画し損なってます。
後半部は「教室への応用」とか「教材作成」なんて内容で、これは学校の先生達がお勉強するようなモノだったんですね・・・私にはまったくいらない科目でした。
とりあえず単位認定試験を受けられるなら受ける方向で勉強してみようとは思いますが、合格してたら儲けモノってカンジです。
あ゛〜!壱万円損したっス!!

一方、「生涯発達心理学」は面白いです。
やっとテキストも半分まで読み進めましたが(って〜、間に合わないぃ!!)、俄然おもしろくなってきました。
小学生よりも中学生の不登校が多いそうですが、小学校という比較的自由な環境から中学校という校則も厳しく勉強の内容も高度になり将来への期待も重くなってくるという環境?移行と、思春期の著しい心身の発達的変化を同時に経験することによって大きなストレスを受けることが考えられ、そんな背景があるんじゃないか、なんて書かれています。
あと、「中年期危機」とか「個人的寓話」とかね。
丁度今の我が家にはピッタリですなぁ〜。
「あぁ、思い当たるなぁ〜」なんて思いながら読み進めています。
あまりに「そうそう」とか「そっかぁ〜!」なんて思ってしまうと、結局テキストから吸収することが的外れになってしまって・・・前回の「心理学初歩」と同じ過ちを繰り返してしまいそうです。
ギリギリでも単位取れれば、結果OKということで・・・

やっぱり卒業は、かなり難しいです(><;)
posted by チャマ at 22:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

またまた心の理論 〜今度は自分自身に〜

前にも書いたけど、「心の理論」というのがあるそうな。
「心の理論」というのは、「欲求」「信念」「行為」という3つの中核的概念が相互に整合的に結び付けられて完成するらしい。「知覚」(見たり・聞いたり・触ったりとか)によって外界の出来事を情報として収集た時、その結果としての「行動」は「欲求」と「信念」によるのだそうだ。
「心理学初歩」と「生涯発達心理学」で学んだ時点では、私は「心の理念」というのは「他者の気持ちになって考えられること」というようなカンジで理解していた。
ところが「学習科学」のテキスト(かなり最初の方^^;)にはこう書かれている。
『直接目で見ることのできない自己や他者の心的活動に関する理解』
自己よ、自己!ここが肝心!
このたった一行は私にはとてもタイムリーなもので、片目からはポロリと落ちたけど、反対の目にはまだ残っていたウロコがやっと落ちたってカンジだった。
イヤイヤ、ずーっと昔から奥歯に挟まっていた小骨が取れたってカンジ?

自分に対して「コレってダメなんじゃん?」というナントナクな思いはいつもあった。
息子の不登校のずっと以前、結構若い頃から・・・多分、社会人になってからだと思うんだけど・・・
以前、祭りの戦士・araikenさん
「イラク日本人人質事件を語る」というエントリーを読んだ時、今までナントナクだった自分にとっての「ココがダメ」が判りそうな気がした。
でもやっぱりいつもの如く、「私ってヒデェ〜ヤツ・・・」という反省だけで終わってしまったんだけど・・・でもいつもよりも「小骨」が大きくなっているのは判っていた。
そこに、先週のハルさんの「今の人たちは人の話を聞かないような気がする」というコメント
「うわぁ〜、マンマ私じゃないの!」って思った。
私は人の話を聞くのが大好きなのだけれど、そこから得るものというのが常に「自分に都合の良いこと」でしかない。それじゃ本当に聞いたことにはならないんだ。
そんな自覚症状はいつもあるのだけれど、だからこそ余計に始末が悪い。だって、本人は自覚しているからこそ「意識して聞いているつもりでいるのだから。

それをダメ押ししたのがいだかつのりさんとおっしゃる方のサイト
サイト内にある「私の不登校物語」の1ページにこう書かれていた。
『……それは、私が傲慢だったからということではなく、周囲に謙虚な大人がいなく、自分を見つめ直すということを身をもって教わる機会がなかったからだろうと今は考えています。』

そっくりそのまま2号に言えることだと思った。つまり謙虚な大人がいない、ってこと。
年齢の違いや家庭内暴力の違いはあっても、彼の場合と2号の場合とでは、不登校になったきっかけというか経緯というかにとても似た点が見て取れる。
でも、だから「同じ」という訳ではないのよ。
araikenさん ⇒ ハルさん ⇒ いだかつのりさん、という流れが、自分自身がずっと抱いていた「自分のココがダメ」と融合した結果だと言えると思う。

今までのエントリーを読んでもらえば判るけど、私には「謙虚さ」なんて微塵も感じられないと思う。
社会の一員として、仕事人として、事務的な通り一遍の礼節とか礼儀とかでは同年代の人たちよりは勝ってようで、それは仕事上でも評価されていることでもある。
あ、過去になりつつある仕事だから過去形で「あった」が正解。
だからこそ私に回ってきた仕事、というのは確実に沢山あった。
でも、それは事務的なソレであるために、チョット気を許すと「謙虚さ」なんて木っ端微塵コになってしまう。
謙虚じゃない自分を曝すのがイヤだから、自分のどこかに「これ以上はムヤミには人を入れないライン」ってあるんだと思う。
それが長年ナントナクだった「自分のココがダメ」だったんだろうな、って思った。
それが長年奥歯に挟まっていた小骨なんだろう、って思った。

でも今更どうやったら「謙虚」になれるんだろう・・・
「謙虚」ってナニ?


そんなことを思ってる時、叔父の家にチョットした用事があって出かけた。
叔父に「私ってどうやったら謙虚になれる?」って聞いてみたんだ。
彼にとって私に対するその答えは簡単だったらしいく、たった一言だった。
「しゃべるな」
・・・・・・・・・
その後沢山の補足を頂戴して、小骨は取れたかに思えた。
「そっかぁ〜、そうだよなぁ〜・・・」
これがイワユル『冗談関係』というヤツなんだろう。
今まで似たようなことは何度も言われてきたけれど、これ程五臓六腑に染渡ったことは無かったと思う。
そして昨晩、やっとエンジンがかかってきた「学習科学」の勉強をしている時、「心の理論」がまたまた登場してきた。

謙虚じゃない私の行動は、欲求か信念のどちらかが偏っているからなんだろうと思った。
思い当たる節は・・・あり過ぎだぁ!
強すぎる「こうあるべき」という信念。
強すぎる「こうしたい」という欲求。
そして行動として人に伝える時、相手の気持ちを考えて理解はしていてもそれ以上に「自分の信念」を「伝えたいという欲求」が強かった。
そんな自分を私はちゃんと自覚していたように思うけど、それでもそういう行動を取る時、「人からどう思われても平気」という自己弁護をしていたように思う。
それはそれで良い時もあるし便利ツールでもあると思うけど、もうチョット謙虚になるべきなんだ。
自分の中にあるコウアルベキを伝えたいと思った時に、チョットだけ黙ってもっと考えるべきなんだ。
アラヤダ、これって子どもの頃に母親からいつも言われてたことだったじゃない!
今頃判ったよ・・・・・・ダメダメだぁ・・・・

なんてことを猛烈に反省した今日この頃でした。
それにしても、放送大学、やっぱやって良かったわぁ〜。
それ以上に、araikenさん・ハルさん・いだかつのりさん・ウチの叔父ちゃんには
強烈熱烈に感謝です!
学んだだけで生かせないのは学ばないのと同じだと思うので、チョットずつがんばって謙虚さを身につけていこうと決意した次第!!!


posted by チャマ at 12:56| Comment(2) | TrackBack(1) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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