2008年05月15日

何も考えないことにした

GWの代休で、今日はお仕事お休みですグッド(上向き矢印)るんるんいい気分(温泉)かわいいぴかぴか(新しい)手(チョキ)
就職してからの約1ヶ月、お休みの日も入院医事のお勉強ばかりしていたので、今日ははりきって「家事やるぞぉ〜exclamation」なぁんて思ったりもしましたが、思い切って今日はグータラ・ダラダラ好きなことをして生きる日に決めました。

家事は土・日にやればいい。





そーそー、休日まで家で自主勉なんてするこたぁないんですよね。
焦る気持ちを象徴するかのようにそんなことしたって問題の根源がソコじゃないんですから、焦りを増徴するだけで自分がカラ回りするだけなんだと気づきました。
そんなカラ回りや焦りが、簡単な仕事のミスを誘発させていましたしね。

結局なにをジタバタしたところで、なるようにしかならないんだと、今更ながら、頭ではなく心の琴線に届いてきました。

「何とかどうにかせねばならんあせあせ(飛び散る汗)」と焦っていたことが、全てを上手く立ち行かなくさせていたのだと判れば、どうにもしようと思わなければ良いのだ、と判ります。

何とかどうにかせねばexclamation×2という気持ちから、ここ数日、私はずっと今の職場で働き続けるための「モチーフ」を探しておりました。ふらふら

留まりたい、という気持ちと、逃げちゃいたい、という気持ちのコンフリクトが、「ダメかも・・・」という不安(精神的不安定?)の原因としてあり、私の良識はなんとか留まるようガンバレ!というものだったので、そこから発生する私のコーピングスタイルが「自主勉」だったり状況分析だったり・・・まぁ、自分なりに必死に職場に留まるための方策を考え行動していた訳です。
自分が変わればナントカなる方式で、人間の本能として前向きに前向きに「何かをする」という方向性で対処しようとしていた訳です。

ところが何をやっても状況は改善されない。。。
改善されないどころか、やることなすこと逆効果がく〜(落胆した顔)
これはまるで保育園の時のウチの次男坊と同じじゃありませんかexclamation&question

そうこうしているうちに、徐々に「留まるべし」という自分自身が持つ良識に「本当に留まるべきなのか?」という疑いを持ち始めたんでしょう。
「留まるべき理由」を探し始めていましたね。

子どもの手前。
生活のため。
資格取得にかけた資金の元くらいとらなくちゃ。
仕事を覚えてからじゃないと次が困る・・・

などなど、いろいろ考え出しては自分のお尻を叩いてみても、どうももう一つパンチに欠ける。。。なぜだバッド(下向き矢印)

どれ一つとして「自分がこうしたいんだ」という、自分の欲求から発生しているものではなかったからなんでしょう。

そのうち、自分発生のモチーフを探し出そうとしている自分がいました。

理屈として、王道ですよね。
モチーフがなければモチベーションは発生しないし、当然発生していないモチベーションは上がる訳が無い。

本来ならば、モチーフがあったからこそモチベーションが発生するものを、私はモチベーションを維持するため(高めるのではなくなくなりそうなモチベーションを維持するため)にモチーフを探し始めるという、なんともおかしな、普通とは逆の経路を辿り始めたのです。

今ある「ここに居続ける」というモチベーションが発生するまでの過程が「なんとなくそうなった」という弱いものだったために、苦境に立たされた時、モチベーションは自覚できるけどそれを維持するだけの、発生源であるはずのモチーフが見つからない。

だったら辞めちゃえばいいんですけど、「こんな職場辞ぁ〜めたるんるん」とい言ってしまうこともまた、広範囲に渡ってかなりの不安が伴いますから、それはもう本当に最後の手段わーい(嬉しい顔)

私の脳細胞はひたすら「居続けるため」に活動する訳です。
その活動の終着駅が「モチーフを探せ」だったように思います。

でも、出てきた答えは「そんなものは何もない」でしたわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)

今私がいる部署から配置替えをしてもらった職員さんは、別の部署で楽しそうにお仕事しています。
過去に精神的に潰されて一瞬で辞めていった、または無能と言われて契約解除になった方たちも、別の病院でそれぞれ活き活き働いていらっしゃるそうです。
私の前任者は、ひたすら忍耐にガマンを重ね2年間勤め上げ、満を辞して別の病院に就職したのだそうです。
病院なんてどこにもあるし、N学館にお願いすれば時間はかかっても別の病院に配置替えしてくださるでしょう、多分…

ですから私が今の職場に居続けたいと思えるような理由、モチベーションを維持するためのモチーフなんて、ある訳がないんですよね。
「医療事務を続けたい理由」はあっても、「ここに居続ける理由」など何もなかったのでした。
時給だって高校生より安いし演劇

でも、私がいる部署以外を眺めると、私はこの病院は結構気に入ってます。
子どもの学校やら、野球やら、ソフトボールやら、意外に同じ環境を共有していたのねぇ〜という職員さんも多くて、事務室を一歩出ると楽しかったりするのです。
そんな人たちがシャキシャキ仕事をしている姿を見れることが、なぜか嬉しいというか楽しいというか、尊敬しちゃうというか癒されるというか、心地良かったりします。
近すぎず遠すぎず、程よい距離関係にある人たちが多い職場というのは私にとっては居心地が良いのです。
それにコンビニに感覚の売店もあるしねかわいい

違う部署だったら絶対ココいい〜るんるんって思います。
が、所詮派遣ですから、職員さんのように病院内での配置替えは空きがないので無理でしょう。

N学館に文句を言ったところで、配属された部署長に文句を言ったところで、何も改善されることもなければ情況が変わることもないのです。
昔はこんな部署じゃなかった、と聞かされても、それは昔のことで今はこんな部署、なのです。
将来のいつか、職員さんの人事異動などで病院内の誰もが知っているらしいこのおかしな空気を持つ部署は変わるかもしれません。
でもそれは来るか来ないかも判らない将来であって、今はこんな部署、なのです。

恐らく私の前に同じポジションに就かれた方たちも、私同様に「何とかしよう」とされたのでしょう。
でも、あの部署に限っては、自分で考えて行動する、ということをしてはいけないんです。
言われたことを言われただけその通りにやることが、ここで行き抜くための秘訣なんだろうなぁと気づきました。
なぜこうするのか、なんてことを考えたり知りたいなんて思ってはいけないんです。
ここの部署に限っては、モチーフとかモチベーションなんてあっても邪魔なだけ、職員さんに煙たがられ厭味を言われるだけのものです。
職員さんの指示ミスであっても「すみませぇ〜ん(私が無能なもので)」という姿勢が大切です。
一方で、レセに関しては自分の持てるだけの能力をフル活用して望まなくてはなりません。とは言え、余計なことをすると叱られるので、発見しても気づかなかったフリをすることも必要です。
ホント、難しいんですよね・・・そうじゃなくてもコミュニケーションスキルが乏しい私には、東大に入るよりも難しいかもしれない・・・
だってほら、東大は自分次第でしょ?
他人次第って難しいですよぉ〜

評価の基準は自分ではなくあくまで職員さんですから、職員さんが望んでいること・望まないことを確実に嗅ぎ分ける鼻が必要、なんだと悟りました。

ですから、モチーフ探しの旅はもう終わり。
モチベーションもほどほどにして、「オマエいらない」って言われたらラッキーと思えばいいじゃん、ってことで、図太く居られるだけ居られればいいや、という結論に達しました。

実際には、頭で判ってもなかなか心がついていかないってのが正直なところですが、そのうち慣れるでしょうexclamation&question

・・・慣れるかなぁ・・・

今の職場は、まるで学校だなぁって思います。

足し算が完璧に出来ないと掛け算は教えない。
1年生の漢字はきっちり1年生で身につける。
みたいな・・・

人間によっては、一つ上のステップに進んで振り返って「ああ、そういうことだったのか」って判る人間もいるんですよね。
でも、今の学校は担任がコロコロ変わるので、来年の担任の先生に迷惑を掛けられないということなのか、自分の評価が下がるということなのか、兎にも角にもこの学年で出来なくちゃならないことは出来るようにさせなくちゃ!ってな空気があるように思います。
失敗してもオレがケツ拭いてやるからやってみ、なんて大人は少なくなってしまいましたもんね。

イヤ、私もそういう器の狭い人間の一人ですけどね。
自省も含めてそう思います。

ちなみに、缶コーヒーのCMじゃないですけど、部署長以外はみんな年下なんですよね。一番クセモノの男性職員さんなんて、結構な年数で年下だと思いますわーい(嬉しい顔)
確かに仕事はバリバリこなしますけどね・・・イレギューラに弱過ぎたらーっ(汗)絶対に人のケツ持たないし、ミスは人のせいだし、上司にしたくない1です。
その人の評価基準に合わせるのは、新米おばちゃんとしてはキビシイものがあります。

子ども達からしたら、学校での評価の基準はあくまで担任。
その担任がコロコロ変わるということは、評価基準もコロコロ変わる。
子ども達は担任が変わるたびに、その評価基準を嗅ぎ分けなくちゃならないんですよね。
終いには「そんなもん知ったコッチャねぇ」ってなるのも判る気がします。

病院内での部署替えを願い出た職員さんは、それまでと変わってしまった評価基準に順応できなかった、ということですよね。
大人だってそうなんですよ。
大人の世界で「そんなもん知ったコッチャねぇ」と言えるのは、一人前以上に仕事が出来る人間か、余程強い人間だけです。
出る杭は打たれるけど、出すぎた杭は打たれない。
ってことですけど、出すぎた杭にはなかなかなれないっすよ。

今回の私同様、確固たるモチーフから発生したのではないモチベーションを維持しようとしたとき、人間っていう生き物は、生きるってことにしても、学校に行くってことにしても、そのモチベーションを維持できるだけのモチーフを探そうとする傾向にあるようです。

なぜ生きるのか。
なぜ学校に行くのか。

そう問うということは、それらを維持したいという気持ちの最後のあがき?ということなのかもしれません。

もしそんなモチーフが見つからなかったら、何かをどうにかしようなんてせずに、とりあえずただ生きてみる、ただ行ってみる、ってぇのも一つの手段かな、って思います。
そのうち「何か」が見つかればラッキーだし、ダメならその時また考えればいいんじゃないかなぁ…と。

私のように小さなことに対してまで、どうしてそれをやるのか、どこにどう繋がるのか、ということが判らないと動けなかったりミスを連発する人間っていうのは、今の世の中生き難いのかもしれません。
学校でも社会でも、余計なことを考えずに言われたことを言われた通りにすることが求められる一方で、場面によっては応用力が要求されます。
どこでロボットになり、どこで人間になればいいのか。。。

取り合えずは、速水もこみちクン演ずるナイトくんが良いのかな?
最初はロボットで、徐々に人間っぽく・・・exclamation&question

そのうち人間としてその空間で(または別の空間でわーい(嬉しい顔)たらーっ(汗))生息できる日も来るでしょういい気分(温泉)
多分・・・

どうせクビになるなら、神経すり減らすだけ損だぁ〜晴れ
明日から何も考えずにユルユル行こうと思いますいい気分(温泉)手(チョキ)
posted by チャマ at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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