2008年01月24日

だから、僕は学校へ行く! ― 乙武洋匡 ―

 『だから、僕は学校へ行く!』

   乙武洋匡 著 講談社



この本を読んだのは、もう1ヶ月以上も前になります。
いつものごとく、たまたま本屋にあった本を買った、という流れでした。
彼の最初の著書である「五体不満足」は、ほんの数年前に読みました。
それもたまたま叔父の家にあったので「貸してくれぇ〜」と言ったら「あげる」と言われたものです。

これらの本を、よく言われるところの「経験者の語り」=障害者の代表の語り として捉えられることは、本人の望むところではないのだろう、と思います。

しかしながら、現実として彼が本を書いたり、TVに出たりすることはもちろん、彼がこれまで「フツーにやってきた」と書いていることもまた、彼が障害者であるからこそそうできるチャンスがあったのだ、ということは忘れてはならないと思います。
もちろん、そのチャンスを活かした彼は実に立派であると思います。


まぁ、恐らくこんなことを書けば、「これはいけない!」と思いすぐに駆けつけてきて反論される方もいらっしゃるのでしょうがねぇ・・・わーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)




でもね、この本を読んだ限りでは、彼には判っているようです。
彼が「フツーのこと」を「フツーにやってきた」と言えることの背景には、周りの人間にどれだけ「フツーじゃないこと」をやってもらってきたのか、ということが。
だからこそ、「僕は恵まれていた。」という発言があるのでしょう。

人間ってぇのは、障害の有る無しに関係なく、フツーのことをフツーにやれるという背景には、周りの人間の配慮が多少なりともあるお陰なんだ、と私は思います。
例えば、どこの家庭にもフツーにあるTV1台にしたって、現金収入の無い者は手に入れることはできませんから見ることができない訳ですが、父親であり扶養者であるおとーさんが買ってくれるから見れる訳です。おばあちゃんでもおじいちゃんでも誰でも良いのですが、誰かしらが買ってくれたものを「みんなで見ようよ」という配慮から、見ることができる訳です。
衣食住すべてにおいて、そういうことです。

金銭的な配慮のみならず、人が生きていく中ではそうやって周りの人たちに配慮してもらっているからこそ、フツーでいられるのでしょう。

ところが人間なんてぇのは、空気があるのと同じ要領でそれが当たり前だと思ってしまう。当たり前だと思うから感謝なんてする訳がない。
空気があることに感謝する気持ちがなくなると、次は「きれいな空気」を求めるようになってしまいます。
「きれいな空気」の次は、「おいしい空気」ですかねぇ?

まぁ、そんな調子で「もっともっと」と貪欲に、フツーの次元をどんどん高くしていってしまうものなんでしょうね。

アノ、老舗最大手のフリースクールの代表の方がおっしゃった
「フツーってなによちっ(怒った顔)
というご発言には思い切り違和感を覚えるものの、フツーの次元がどんどん高まるという意味から考えると、「そうなんだよねぇ」と言いたくなりますね。

でもね、フツーでいられることに感謝できるってことは、フツーでいられることは「シアワセなこと」だと判っているってことだと思うんですよ。
そうすれば、そんなに目くじら立てるほどのことでも無いんじゃないの、ってやっぱり思います。

フツーにやってこれたことに感謝していらっしゃるという乙武さんは、学校の先生になったそうです。
この本には、なぜ先生になろうと思ったのか、ということや、実際にいくつもの学校を見てきた中で思ったことなどが書かれています。

個性について思うこと、体罰について思うこと、学校制度について思うこと、不登校について思うこと。。。。などなど。

この本を何らかの「教本」として読むことは、私は違うと思います。
とかく「当事者の語り」=「真実」とか「正解」とか「そうするべき」というような位置づけにされる傾向があるように思いますが、当事者の語りはその人だけの、その個体だけの事実でしかないです。
真実でもなければ正解でもそうするべきものでもなく、ましてや全員のそれらではある筈がないのです。

この本に書かれていることは、乙武さんの実体験と、彼がナニをどんなことを基準にしてどう考えているか、という以外のナニモノでもありません。
私はこの本を読んで、これから彼がどういう経験をし、この先どういう考え方に変わっていくのだろうか楽しみで仕方がありません。
この本の中身は永遠に変わらないけど、人間である生身の彼はどんどん変わっていきます。
ここに書かれている今現在の「乙武洋匡」は、成長過程にある「乙武洋匡」なのですよね。

彼は沢山の学校に行きました。
前述の某老舗大手フリースクールにも行かれたそうです。
彼はおおよそ肯定しつつ、次のように書いています。

「だが。
 彼らがこれから巣立っていく日本社会に、一人ひとりの自主性をこれほどまでに大切にしてくれる寛容さがあるようには思えない。また、ときには理不尽に見えるルールに従わなければ、前に進めないこともある。
 桃源郷のように理想的な環境で育った子どもたちが、はたして現実社会でうまくやっていくことができるのか。そんな不安を、帰り際に感じないわけではなかった。けれども、高校や大学で、そして社会で仕事を持ち、堂々と生きている「○○○○(フリースクール名)」のOB・OGが多くいることを考えれば、それもまったくの杞憂なのだろう。」

私がココに違和感を覚えるのはまさにソコ。
同じことを感じながら、彼は実に上手くまとめあげたなぁ、と思います。
これもまた周りへの配慮、なのでしょうか???

文面をそのまま取り上げれば、それがまったくの杞憂かどうかは「だろう」ということであって、この時点では乙武さんには判らない、ということになります。

そして同じことが、他の学校についても言えるのだろうと思います。

彼は沢山の学校に行ってはいるけれど、そこに居たのはほんの数時間・数日・数週間という短い時間です。

その昔、「たまに来てるくらいで富良野を語るんじゃネェちっ(怒った顔)exclamation×2パンチ」と、松山千春さんが倉本聡さんに言った、という話を聞いたことがあります。

ソコでの本当のこと、というのは、そこに長く居ないと判らないんじゃないのかしら?って思います。
ご自身の目で見て体験してこられたことは事実であり、体験したことは決して無駄ではありませんが、それがソコの全て、だと思ってしまうことは危険です。
彼がそれらの体験を通して感じ、考えたことは、彼のその時点にとっては間違ってはいないのですが、その体験というのはほんのサワリ程度でしかない、ということが言えると思います。
そしてその体験から沸き起こる彼の考えを「正解」とか「教本」としてしまうこともまた、危険だと思います。

「乙武洋匡」という人は、五体不満足だからこそ彼は注目されるのであって、だからこそこういう形で書いたものを書籍にしてくれる会社があるのです。(『現代』の連載に大幅に加筆したものだそうです)
一方で、彼が周りのそういった期待に答えられるだけのモノを持っているからこそ周りがそう動くということもあるでしょう。

五体満足であって今と寸分違わぬパーソナリティを持つ「乙武洋匡」がいると仮定して、果たして誰かが注目しただろうか?

しないだろうな、と私は思います。


でも逆に、例え五体不満足であっても「乙武洋匡」というパーソナリティがなかったならば、これまた注目されないだろうな、とも思います。

だからこそ、彼が書いたモノは「教本」だったり「正解」だったり「こういう考え方をしなくちゃネ」的なものように受け取られてしまうんでしょうね。


いろいろなことについて、突っ込みを入れたくなることが正直ありました。
これは私自身にもよくあることですが、アッチの考えとコッチの考えが矛盾しているなぁ、と感じることもありました。
でもだからこそ、彼はここからまだまだ成長し、その考え方もどんどん変わって行くんだろうと思えます。
溶けた鉄が固まるのと同じで、バッチリガッチリの考え方というのはなかなか他の考え方を受け付けませんし、=変わるということもあまりないんだろうと思います。
まだまだ柔軟そうな彼が、これから先生としてどんな経験をし、どんな考え方になっていくのだろうか、これは期待、と言って宜しいかと思います。

何年後かに、また本を書いて欲しいと思いました。
その時多分、彼は今とは別の姿をその本の中に永遠に留めるのでしょうね。
そしてそれを読む私もまた、今とは多少は違う考えの持ち主になっているのだろうと思います。脳みそが硬化しつつあるので、その変化の度合いは全然低いのでしょうけどね・・・もうやだ〜(悲しい顔)
posted by チャマ at 15:31| Comment(1) | TrackBack(0) | 教育、とか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 価格 時計 at 2013年08月03日 10:25
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