2008年01月24日

標準語

昨年末くらいから今日まで、時間と心にゆとりがあったせいなのか、結構本を読んだ。
養老さんの『こまった人』、矢幡洋さんの『凶悪殺人と「超能力者」たち― スキゾタイパル人格障害とは何か―』、養老さんと茂木さんの『スルメを見てイカがわかるか!』、丸田俊彦先生『セラピー練習帳』、乙武洋匡さん『だから、僕は学校へ行く!』。
そして今途中なのが、小此木啓吾先生と河合隼雄先生の『フロイトとユング』、アルヴィン・E・ハウス(上地安昭監訳・宮野泰子訳)『学校で役立つDSM-W』、ハリポタ7原書。
ってな内訳になっております。
近日中には、放送大学の面接授業で参考図書として紹介されている2冊が届く予定。

・・・にしても偏ってるなぁ・・・わーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)

偏っていることは視野が狭くなり、思考の幅も狭くなり、あまり好ましく無いことかもしれません。
が、似たようなことを複数の「有識者・博識者」と呼ばれているだろう方々がそれぞれどのようにお考えなのかということが判り、それについて自分はどのように考えるのか、それはどうしてなのだろうか?と追究していく作業は、自分ってナニモノ?を探る上では有意義なんじゃないのかなぁと思われます。






これらの本を読む時、本当にしみじみと「放送大学で(少しだけど)勉強してて良かったるんるんかわいい」と思います。
「サイコセラピー・・・」とか「DSM-W」とかは専門書の類に入るのだろうと思いますので当然ですが、「フロイトとユング」とか「凶悪殺人と・・・」とか、専門書と一般書の両方に片足ずつ入れているように思われる書籍の場合、そこに書かれている「標準語」を放送大学で勉強したからこそ理解することができます。

それは、思い切り一般書籍の類に入っている養老さんと茂木さんの「スルメイカ」でも言えます。

学校で教えることは、必ずしも「正しい真理・真実」ではないと私は思います。
現に、歴史ミステリー流行の昨今では、今まで当たり前に教科書で教えていた歴史的事実が事実ではなかったかもしれないゼ、とあちこちで様々な考え方が公にされています。
年末年始なんて、歴史ミステリー時代劇のオンパレードでしたよね。
これは数年前に2年程続いた「時空警察」の流れが「ダヴィンチ・コード」の流れと合流した、ってなカンジなんでしょうか?
私個人としてはおもしろい年末年始を送らせては頂きましたが・・・。

歴史ミステリー流行の裏にあるものは、例え最高学部と呼ばれる場所で教えられていることであっても、学校で教えることは本当にそうなのかどうかなんて誰にも判らない、ってことです。
ただ言えるのは、「本当らしい」もしくは「本当に近いと思われる」ということです。
そう思わせる、そう理論立てができる何かしらの証拠なり根拠が存在している、ということです。

以前、有るということを証明するより無いということを証明する方が難しい、というような記事を書いたことがありました。
でも一般的には「有るという証明」の方が難しいことだと思われています。
だから迂闊に「無いことを証明する方が難しい」とか言うと、猛反撃をくらったりしてしまう訳です。実体験として、私の身にもそーゆーことがあった訳です。
「有る」方が「無い」より判り易い。
ただそれだけのことで、証拠や根拠が「有る」だから「正しい」ということは、一般的には肯定されやすいことなんですよね。

学校で教えていることは「説」であって、「真実」かどうかは誰にも判らない、ということです。

物事を考える時、一つの「説」を頭から「真実」として考えてしまうと別の考えは浮かばないんだろうと思います。
フロイトやユングが言っている「意識」や「無意識」「エス」や「エゴ・スーパーエゴ」という考え方、「抑圧」という考え方。
「心の理論」とか「(いろいろなものの)アイデンティティ」とか「個性(パーソナリティ)」とか・・・
それらの理論は本当にそうなのかどうか、そんなものがあるのかどうか、なんてことは誰も証明できるものではないんでしょう。
でも、言われると「そーだよなぁ、そんなカンジだよなぁ」と思えます。
だから「まぁ、正しいと思える」ということになっていて、学校でも「こういうモノや現象や考え方がありますよ」と教えているのでしょうね。

それらの考え方が正しいかどうか、ということと、それらについて考えること、またそれらを元に物事を考えることが正しいのかどうか、ということは、別の次元の話だと私は思います。

学者先生という方たちは、それぞれの専門分野において定説とされていることを「無い」とか、「違う」ということを立証したり、または逆に「真実である」ということを立証したり、更にはまったく新しい「有る」を立証されたりなさるのがお仕事なんだろうと思います。
それぞれの理論の正誤については彼らにお任せしておけば宜しいんだろうと思います。
学者先生でも学校の先生でもない私には、それらの理論の正誤よりも、それらの理論をどう上手く使ったら生きやすい人生・生活が送れるのかしら?ということの方が重要案件なのです。

それらの理論から発生する考え方について検証しようと思ったら、その理論がまず正しいものだと仮定した上で検証してみる必要がある、と思います。
その理論とは正反対の理論があった場合、同じように正しいものだと仮定した上で検証してみる必要があると思います。
最終的にはどっちが正しいか、ではなく、どっちが有効活用できそうか、ということの方が私には大切なことなのです。

フロイト&ユングの中で、小此木先生がこんなことをおっしゃってます。

「・・・(略)古沢先生の日本化した精神分析を批判するという努力をしたことになります。・・・(略)実際には(古沢先生が)フロイトを日本的に解釈していて、本当の西欧的なフロイディアンとしての感覚として、フロイト自身が書いていることとはかなり違うということを問題にしたのです。・・・(かなり略)そして(古沢先生は晩年になって)晩年のフロイトの技法論の論文を忠実にもう一回、自分なりに追試なさったりしていたんですよ。」
(第三文明社/レグルス文庫183「フロイトとユング」P26〜27)

古沢先生と小此木先生は師弟関係にあるのだそうです。
そして同じことが、小此木先生とその弟子?との間でもくり返されるのだそうです。
小此木先生がおっしゃるには、そういうことをやっていかないと日本の精神分析は発展しないんじゃないか、ということだそうです。

小此木先生はその道では第一人者と呼ばれる方らしいです。
放送大学の先生もそのようなことをおっしゃっています。
が、私としては学者先生の学者先生らしい思考だなぁ、と思った訳です。
もし私が精神分析を受ける側だとしたら、そんな西欧的に拘ってもらわなくて構わないんですけどぉ〜、だって、私は日本人なんだもぉ〜ん、って思います。
スピッツにはスピッツ特有の、ブルドックにはブルドック特有の、個体とはまた別のそれぞれの性格特性ってものがあるように、私とアングロサクソンとは違うんじゃないの、って思います。
小此木先生がタダの学者先生で、分析医として臨床の場にはいらっしゃらないというのであればそれはそれで宜しいかと思いますが、分析医として日本人の患者を診ることがあるのであれば、フロイトの理論に忠実であることよりも、目の前に患者に誠実であって欲しいと思いますけどねぇ。。。

一つの考え方があるとき、それをどうするのか、どうしたいのかは人によって違う、ということです。
学問の出発点は、人がいかに豊かに暮らせるか、ということにありますから、そのために学問を追及するも良し、自分に有効的に活用するも良し。
どっちだって学問の出発点から外れているとは言えやしませんやね。
ただ一つ、自分がどうしたいんだ?ってことだけはちゃんと判っている必要がある、と思います。
学問を追及している思考のまま実際的な有効活用を説くというのは、そりゃミソクソ一緒過ぎておかしなことになってしまうと思うのですよ。
まるで今の「ガソリン国会」みたいにね。

その聞き手(読み手)が一般の読者であることが意識されているだろう養老先生が単独書かれている著書とは少し異なり、「スルメイカ」で茂木先生を相手に語っていらっしゃる養老先生は、いつもより少し、その語りを噛み砕いてないような、そんなカンジがしました。

専門書であれ一般書であれ、誰かの語っていることを取り入れたいと思ったなら、そこに書かれている「標準語」がわからなくては話になりません。
丸呑みで取り入れることは簡単ですが、自分の血肉になるような栄養分として取り入れるには、丸呑みではダメなんですよね。
消化不良おこしちゃいますから、消化できずにすぐに体外に出て行ってしまいます。がく〜(落胆した顔)ダッシュ(走り出すさま)レストラン

理論の学問的正誤は学者先生にお任せするとして、私はそれらについて様々な人が語ることができるだけ理解できるよう、そこに書かれている標準語をもっと勉強したい!
賃金労働なんてしないで、それだけやっていたい!
ああ、このまま専業主婦でいたい!
でもいずれ我が家に外貨を持ってこなくちゃならない日がやってくる。。。

ということで、なんとか両方上手く出来ないかと、現在ある計画が進行中であります眼鏡
過去に「判断力に比べて決断力が高すぎる=事故リやすい性格」と自動車教習所で判定された私ですから、すでに実行に移しておりますわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)
はてさて、どーゆー結末を迎えるのやら、、、事故ルのか?
ま、何事もやってみなくちゃ判りませんからexclamation×2
キスマーク
posted by チャマ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 放送大学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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