2007年10月02日

当然の流れだったんだなぁ〜と思った昨日

昨日、会社に御得意先の担当者N氏がみえた。
時間も丁度午後Teaの時間だったので、ウチの営業担当さんとお茶しながら四方山話に花を咲かせて帰っていった。
世の中不景気でっせぇ〜なんて話から、いつしかN氏のお子さんの将来について彼らは話をしていた。

N氏は小学生女の子二人のお父さんで、下のお子さんは2回ほど会社に連れてきたことがあった。
とてもしっかりしたお嬢さんで、今時の子ども達によくみられる「どこでも自分チ」ってな立ち居振る舞いはなく、でも聞いたことにはしっかり答えてくれるお陰で相手をしているあまり知らないおばちゃんの私の手を焼かせたり不用意な気を使ったりさせることはなく、流石はN氏のお子さんだなぁ、なんて私は思ったりした。

そのお姉ちゃんが今6年生らしくて、N氏は私立中学校への進学を希望していると言っていた。



N氏が住んでいるのはオラが県の県庁所在地であって、オラが村とは格段・数段に都会なのである。
オラが村から私立中学校に行こうと思ったら、山を2つ程越えた村まで電車を乗り継いで行くか、乗り継ぎは無いけど40分ほど電車に揺られてN氏が住む都会に通わなければならない。
いずれにしても、通学するだけでもかなりの時間とお金がかかってしまう。

そう簡単に「私立中学に行って欲しい・行きたい」とは言えない親のお財布と子どもの根性なのである。

だからなのかもしれないが、私立中学をお受験する、という発想が生まれるご家庭の割合は都会にくらべてかなり低い。
当然、子どもの教育に入れ込む力も中学お受験を考える家庭より弱いんだろう。

都会に住んでいるN氏がお子さんの中学受験を考えることは全然不思議なことではないけど、私にはあまり縁のある話とは思えなかったが、一緒に話をしていたウチの営業さんは、進学塾の講師をしていたという肩書きを持っているし、実家がN氏の住む都会にあるのでとても話が弾んでいた。
ドコドコ中学はこーで、ドコドコ高校はあーで、、、なんて話を、制服の良し悪しも含めてフリーダイヤルたらーっ(汗)話していた。

「東京の私立大学になんて行かれちゃったら大変だよぉ〜。
 仕送りがさぁ・・・
 やっぱり地元の国立大学出て、教師になってくれたらって思ってるんだ。」

とN氏は言っていた。

地元の国立大学には他にも学部があるのに、なぜ教育学部で教師なのか・・・

N氏が言うには、
 ・給料が良い
 ・安定している
 ・出産後も良い給料のままで、復職もしやすくて、女の子にはこれが一番

というのが理由なのだそうだ。
そしてどうせなら、小学校で担任なんかを持って苦労するよりも、中学校や高校で専科を教えてくれたらBestぴかぴか(新しい)なのだそうだ。
他にも理由はあったけど、それらは皆「就職するにはいいとこジャン」的な理由だった。

そんな話を小耳に挟みながら、「まぁねぇ、親として判らなかぁないけどさぁ、そんなことが理由で教師になった先生にはわが子は任せらんよないなぁ・・・なんだかなぁ〜」なんて思った。


いつもだったらそう思っただけで、多分こんなことはすぐに忘れてしまう。
ところが、昨日はなぜかタイムリーなことに、2年近くも前に書いた教師ネタの記事のんがーさんからコメントを頂いた。
そのコメントとN氏の発言とが結びついて、アレコレ考えた結果、N氏の発言は刺激を受け、反復され、私の長期記憶へと保存されていった。

のんがーさんは

「大学がもっと教師と言う仕事について学生に考えさせる機会を与えるべきなのかもしれませんね。」
とおっしゃっている。

でもそれは、大学という学校で機会を与え学ぶべきことなんだろうか?
大学という学校でしか学べないことなんだろうか?
大学という学校の問題なんだろうか?

私としては、そんなこたぁ教育学部に入る前に考えてくれよ、なんて思う。
そして、そんなことまで学校に求めなさんな、って思う。
物事を考えたり学んだりすることは、学校の外でも出来るんだからさ、なんて思う。

それに公立学校の(特に小学校の)教師という立場の方たちの多くは、のんがーさんが思っている以上に学校を「都合の良い職場」としてしか認識していないんだろう、と私は思っている。
なぜ小学校かと言うと、中学校・高校になると、お母さん先生はめっきりさっぱり少なくなるからだ。

前にも書いたように思うけど、出産を機に退職を決意したお母さん教師に対して
「辞めなくても産休・育休でいいじゃない。同じ教師でも臨時じゃぁお給料全然安いのよ。もったいないちっ(怒った顔)と助言し引き止めた先輩・同僚が山のようにいたそうだ。
まさしくN氏的な考えが、少なくともそのお母さん教師の周りに山のようにいた教師に共通した「教師」という職業への認識、ということだ。
現役の教師から「今の生活さえ維持できれば教師なんてやらない」という発言を、私は人生で2度、聞いている。というか、言われた。
人を教え育てるという、よぉ〜く考えればソラ恐ろしい、でもだからこそ遣り甲斐のある仕事を辞めるな、というのではなく、「安定性と高収入がもったいない」から辞めるな、と先輩が助言する職業なのだ。

果たして公立学校の教師という職業に対するこういう認識を示した山のようにいたセンセー方は、いったいいつからこのような認識を持っているのだろうか?


以前、教育事務所の方と話し合いをする機会があったが、まったく同じ認識だったように思う。
教育事務所のお偉い方がおっしゃったことは全て、子どものためのより良い学校ではなく、教師のためのより良い職場としての学校でしかなかった。
「学校ってのはセンセーの職場として存在してるんですか?」
との問いに、「う〜〜〜〜〜む」と唸っただけだったお偉い方。
本音はYESで建前はNOなんだろう。
立場上YESと言う訳にもいかず、でもそれまで主張してきたことの中に子ども達はコレッポッチも登場してなかったので、NOと答えるには流石に恥ずかしかった?んだろう。
そんなお偉い方だって元は教師だったんだしさ。

教師という職業をN氏のように考えることは、現代では世間でも教師達でも極々当たり前のことになっているようだし、それらを教育事務所のお偉い方も後押ししていらっしゃるのだ。
建前はどーでも、本音の部分ではそれらの認識は一般常識、ということになる。

女の子を持つ父親が、教師としての仕事の中身などよりも、その職業が持つ安定性などから我が子が教師になることを望む。
教師を生業としている人達もまた、教師を続ける理由はその安定性である。
そしてそんな教師の姿をあれやこれや底の浅い見え透いた理由でもって正当化しようと躍起になる教育事務所。

大学で教育とは何ぞや?と一生懸命考え、熱い心で教師という職業に就いたところで、こんな状況下にあっていったいその思いは継続できるのだろうか?

先生方は、その熱い心の熱を奪うのは学校というシステムであり、アホな親とその親が育てて送り込んでくる子どもだと主張する。
教育という本文以外の「雑務」の煩雑さもまた、その理由とされる。
「教育とはなんぞや?なんて考える時間も気力も無いわよ!ちっ(怒った顔)
ということらしい。
考える時間が無いために行き着く先は、(楽じゃないけど)「安定・高収入な職」という認識であるのかもしれない。

アホな親もまた、「少しでも世の中のためになりなさい」なんてことはコレっぽっちも言わないどころか、職業選択の第一基準が安定性であり報酬なのである。
親自身が感じる幸せは安定・高収入かもしれないけど、子どもが感じる幸せもまた同じとは限らないのに、である。
ま、そういう親の姿を見て育つのだから、子どもの幸せもまた、安定・高収入が第一基準になるのは仕方が無いと言えば仕方が無い。

案外そういう割り切った?認識の先生や親の方がずっとも元気で、逆に深くふか〜く「教育ってなんぞや?学校って?教師って?親って?」なんて考える教師や親の方が疎まれたり心が病んでしまったりするのが現代という時代のような気がする。

学校という場所で、こんな現代という社会に適応し難い人間を作り出すかもしれない指導は出来ない、のかもしれない。
だからこそ「もっと深い部分については、実践(就職後)で各々深めていってくれ!っという感じに突き放されているような気がします。」なのかもしれない、なんて想像してみたりする。

簿記1級を持っている友人が、「1級持ってるからってすぐにその会社の経理で即戦力になれるって訳じゃないのよ。その会社にはその会社のやり方ってのがあってね、それに合わせないといけないから。」
と昔言っていた。
要するに、学校で教えてくれることは最低限の基礎であって、それを活かすも殺すも自分次第、ってことなんだろう。

のんがーさんがおっしゃる「薄っぺらい」意識というのは、何も学校だけの責任じゃないんだろうって思う。
学校でやらないよりはやった方が良いけど、やったところであんまり期待はしなさんな、って思う。
だって、教える人間がどういう意識か判らないもんねぇ。

「教わってないから出来ない」「聞いてないから判らない」「聞いただけじゃ忘れちゃうから書いて配って」
息子の少年野球で何かってぇとお母さん達も子ども達も言うセリフだ。
「何でも言って!言ってもらえばやるから」
じゃ、と言えば「でもそれはあーだから、こーだから」・・・・・ふらふら

お前達には考えるという能力が備わっていないのか・・・
毎回毎回同じことをやっていてそのセリフとは、学習能力というものは無いのか・・・もうやだ〜(悲しい顔)

学校という場所で教師に出来るのは、教えることだけだ。

私は学校からは必要最低限のことを教えてもらえれば良いと思っている。
何かをどーこーして欲しいなんて思わない。逆に迷惑だ、なんて横柄にも思う。

そこから先は、自分で考えることでしか学べない。
学ぶ気にならなければ学べない。
学ぶ気の無い人間には、毎回手取り足取り教えなくてはならない。
教えることを生業とするのなら、毎回毎回手取り足取り教えればいいじゃないか。
いつか覚えるかもしれないし、覚えないかもしれない。
「覚えさせること必須」という教えは息苦しいし、そんなことは神様だって無理だ。
同じように、「教師=都合の良い職業」という認識を持つ教師や世間を変えようとすることは神様だって出来ないだろう。

「なんだそれ!ちっ(怒った顔)」と思う自分に出来ることはと言えば、「私は流されない」という強い意思を持ち続け、周りとの体温の違いに耐え、信念を曲げないことだけかもしれない。

言うのは簡単だけど、実践するのはかなりキツイ・・・もうやだ〜(悲しい顔)

教師を目指す大学生が薄っぺらい背景には、親が絡み、先輩教師が絡み、物事に対する現代的な考え方が絡み、、、ようするに時代背景なんだろうなぁ、なんて思う。

何も期待されていないのが教師。
にも係わらず親に文句を言われる教師。
そんな親が子どもの職業として教師を選択する第一基準が安定性・高収入である教師。

教師を世間一般がこう評価している(と私は思っている)ことを、のんがーさんをはじめ、教師になろうと日々学んでいる学生さんはどう思うのでしょうか?

マニュアル教師や自己満教師などの増殖は、すでに第3段階まで進んでいて、「女性が働くには都合良い職業」という認識がいよいよ子どもに植え付けられるところまできている模様。
いや、もう既に植えつけられた子どもが現場でセンセーと呼ばれているのかもしれないゾ。

鶏と卵、どこが発生起源は判らないけど、センセーの意識の低下は当然の流れだったんだなぁ・・・
そりゃアナタ、「先生と呼ばないで」なんて言うセンセーが出てくる訳だワ。
posted by チャマ at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、とか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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