2007年09月21日

前提とは???

学校社会では運動会・文化祭のシーズンです。
オラが少年野球チームでは6年生がまとめexclamation&questionに入るシーズンです。
オラが地区ソフトボールチームは年度を飾るexclamation&question会長杯トーナメントが行われているシーズンです。
そんな中、オラが村女子ソフトボール部は、来月隣村で行われる大会にもメンツが揃わず出場できない体たらく故、解散の危機にありますが、それでも今月までは毎週の練習をやってくれるらしいです。
夏の疲れも出てきたのか、なんだか我が家全員、ヘロヘロ・・・

ただ一人元気なのは、部活も終わり受験勉強どこ吹く風の超マイペース男の長男1号ですもうやだ〜(悲しい顔)
彼の日課には未だに「勉強」という文字は見当たりません。
休日の朝8時に友達が「遊ぼうゼるんるん」と誘いに来る受験生って・・・
誘いに来る受験生も来る方なら、喜んで出かける方も出かける方。
ま、それらのツケは全て自分に降りかかってくるんですから、止めやしませんがね。





本人は判っています。
今何をしなくてはいけないのか、なんてことはね。
テレビを見ている時、ゴロゴロとベッドに寝転びながらお気に入りのラジオを聴いている時、誘いに来た友達と一緒に出かける時・・・・・・・・・
どこかで「いいのか?それで」と言っている自分がいるんでしょうね。

でも彼は「ま、いっかぁ〜」という自分を選んでしまう。

そんな自分が嫌でなんとかしたいと思う自分と、自分を可愛がる自分が同居している彼は、今とてもウルサイ男です。
「オレはここにいるぞぉ〜〜〜。オレはダメなやつじゃないぞぉ〜〜〜」とでも誇示したがっているかのような立ち振る舞いが目立ちます。

ハイハイ、判りましたから。
五月蝿いです。

ウチの長男1号だけじゃなく、人間ってそうですよね。
虚勢を張ったり、誤魔化したり、威嚇したり、おチャラけたり、いろいろな方法を駆使して自分を目の前の人間や自分自身が認めてくれるよう・認めさせるようにしたがります。

でも、何をどーやっても、根っこにある問題を解決しないことには他人はどうであれ、自分自身が一番それがよく判っているんですよね。
結局どんどん自分自身を苦しく追い込んでしまう。

人間ってぇのは何年かやっているとそーゆーもんなんだってことも判ってきます。
多分、1号あんチャンはもう判っているでしょうね。

小手先の技を駆使して誤魔化しても、自分自身を追い込まないですむ方法もあります。
「オレは間違ってない。間違っているのは他のヤツラだ。」
というような思い込みです。

1号あんチャンで例えるならば
「青春ってぇのは一度しかないんだから、受験勉強よりも友達との時間を大切にする方が正しい生き方だ。」
とでも心底から思えるようになれば、彼は何ら苦しい思いをすることなく自分の好きなことが出来るんでしょう。
大した偏差値でもない学校への進学を希望しているけどそれすら微妙なラインに立っている1号あんチャンですが、そんな彼が「受験勉強をすることが間違っているんだ」と思えれば、受験勉強しなくちゃぁぁぁぁという問題は解決しなくても、彼はとてもスッキリとした日常生活を送ることが出来るのです。

でも、実際には心底からそんなことを思い込める人間なんていないんだろう、なんて思います。
思い込めるとしたらそれは、他者からそういう強化が(それもかなり強烈な?)された時なんだろう、って思います。


山口県光市の母子殺人事件の差戻し審についてニュースやワイドショーが取り上げていますね。
この事件では途中で弁護人が替わりました。
弁護人が替わってから、被告の元少年の裁判での主張も変わりました。
当事者でも関係者でもなく、ただの傍観者(にも入れないのかもしれませんが)としては、恐らく現在の弁護人が与える刺激が被告人の何かを強化したのだろう、そしてその刺激は前任者のソレよりも被告人にとっては心地よいモノなんだろう、と想像しています。

そんな被告にとって心地よいモノであったらしい刺激を与え、何かを強化した弁護人が記者会見で私には理解できない発言をしていました。

「前提が間違っている」

何をしたのか、とか、どうしてこうなったのか、とか、そういう前提が間違っている、と言っているらしかったのですが・・・
誰が間違っている、ということなのかがよく判らなかったのですが、多分検察とか遺族とか世論に対してなんでしょうね。

「死」などというものをこれっぽっちも認識していなかっただろう母と、「死」というものをまだ知りもしなかった赤ちゃんを殺した、という前提は、心神喪失だろうが少年法だろうが過失だろうが傷害致死だろうが、何を持ってきても間違うことのない事実であって、それより前の前提なんてない、と私は思います。

「私は生きたい」
被告人はそう言ったそうですね。
そう言えば、殺された母子を被告は殺さなかったんでしょうか?
自分に通用しなかったことを他者に要求することを被告はどう考えているんでしょうかねぇ?

法廷内での手法の前提のもっと前提として、何ら恨みを持たない人達を被告人は殺したのだという前提がある筈ですよね。

法廷内での手法に対しては私たち(?)は前提を間違えているかもしれないですけど、被告人が人を殺めたという前提は誰も間違えてはいません。

弁護士ってぇのは様々な手法を駆使して「被告の罪を軽減すること」が本来の仕事なんでしょうか?
それは弁護士の本来の仕事ではなく、弁護士としての評価=営業努力?でしかないように思います。

大体が、母胎回帰だなんて言われても、気持ち悪いだけで、逆にそんなの野放しにしないで下さいって思うんです〜〜〜がく〜(落胆した顔)

罪を犯したからって弁明の余地を与えないなんてことはあってはならないけど、必要以上に刑罰を軽減することを目的とする弁護ってどーなんでしょうね?

弁護人が言っている前提は法廷内の手法を指しているだけであって、裁判の前提は殺人を犯した人間がいる、ってことじゃないんでしょうかねぇ?
弁護士になっちゃうと、そんなことも見えなくなっちゃってるんでしょうか?
それとも私が素人の判らんチンだからスットコドッコイなことを言っているんでしょうか?

でもね、世間で先生と呼ばれる人達って、なんかどこかポイントずれちゃってるように思うんですよね。

あなた達の職業はそんなことをするために存在しているんですか?
って、各方面の先生方にお聞きしたいですね。
最近めっきり話題の永田町の先生方もまた然り、ですしね。

さて、オラが小学校は明日運動会があります。
母という立場にあるものですから、ポイントずれないようにしっかりとお弁当を作らなくちゃるんるんです。

にしても、最後の運動会。
行かれて良かったわーい(嬉しい顔)かわいいぴかぴか(新しい)
posted by チャマ at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/56464477

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。