2005年07月05日

学校を考えてみた A

個人が学校に行くため・行かないため・適応するため・・・いろいろな理由から自分が納得するために「学校」を考えるなら、自分が納得さえ出来ればどんな結論でも良い訳で、そうやって導き出した結論によって問題が解決できればそれが正解、ということなんだろう。
でも、それを社会に向けて、世間に向けて「こうあるべき」と発信することは違うんじゃないだろうか?
なぜなら、人間は多種多様であるからこそ、それぞれが抱えている問題は違うのだから、1つの問題解決のための正解が他の問題の解決にとっては必ずしも正解にはならないことが考えられるから。

不登校という視点から学校を考えると、確かに「学校が悪い」とか「制度が悪い」とか「オルタナティブ教育を認めろ」というのも判らなくも無い。
「学校というのは社会性や協調性を養う場なのだ」という意見には、「今の学校を見てみろよ。社会性とか協調性なんてどこにあるのサ」って思う。親の目が届かない場所であるところの学校なんて、やりたい放題野放し状態でっせ。それを権力でねじ伏せている今の学校のいったいどこに、社会性やら協調性があるって?
家庭のストレスを捨てる場所=学校、なんだってば・・・
そんな学校に通うことを義務にしている制度が悪い、ホームスクーリングでもフリースクールでも良いじゃないか、とりあえず子どもが教育を受ける権利を保障すればいいんだからさぁ。
なんて主張が声高にされることも、全然不思議じゃない。
学校に関わっているのが、不登校という問題を抱えた子どもだけならね。

子どもが抱える問題は、なにも不登校だけじゃないんだ。
児童虐待、ネグレクト、安定しない家庭環境、経済的危機・・・いやはや、子どもは大変だ。
そんな子ども達を、登校させる義務があるからこそ学校が助けている、なんてこともある。
体の異変に気付いたり、衣服の汚れからネグレクトが判ったり。。。
給食費を納めず終いのまま卒業しちゃう子どもがいるのが実態だったりする。
家庭から逃げたくて、登校命!って子どもがいる。
学校というモノが、登校させる義務と担当省庁の管轄下にあるからこそ、守られている子どもっていうのが確実に存在する。
そんな様々な環境に置かれている子ども達すべてに、「学校が悪い」とか「制度が悪い」という主張は当てはまるんだろうか?
「教育を受ける権利」を保障していれば、「教育の形態は自由選択」でいいんだろうか?



「学校が(社会が?)抱える問題」としては、今は「不登校」が首位独走中なんだろうけど、それがいつ「虐待されている子ども」や、「育児を放棄されている子ども」にトップの座を明渡すことになるとも限らない。
その原因は不登校からの視点のみで変革された「学校」や「制度」にあった、なんてことにだけはならないようにして欲しいものだ。


そんなことを考えたら、「学校が悪い!」「義務教育という制度が悪い!」という考えは、私のカニ味噌からは消えてなくなってしまった。
つーか、それ以前に「学校制度が変わる」ことなんて待ってられないんだよなぁ。
ウチの息子は大人になっちゃうよ。

Bに続く(近日出来るだけ早く公開。。。予定は・・・やっぱり未定)
posted by チャマ at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/4859479

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。