2007年05月25日

だってそーゆー時代なんだもん2

今年に入って、ここ数年来心配する必要のなかった保護者の不参加に頭が痛い、オラが少年野球チームがく〜(落胆した顔)
お陰で私まで休日返上で土・日共に、試合でもないのにグラウンドに足を運ばにゃぁならないもうやだ〜(悲しい顔)
平日フツーにフルタイムで働くおかーさんとしては、せめて試合のない練習日には家事をやっつける時間が欲しいゾexclamation×2ふらふら

という訳で、いっそのこと「参観日」を設けたらどないでっしゃろかいな、という提案をした。
ただ「練習参観」と言ったところで、自営業やサービス業を盾に来る筈もないので、「審判講習会」と銘打った。



オラが村リーグ戦であれ、近隣の大会であれ、主審や塁審を義務付けられている大会がほとんどであるから、今年のオラがチームのような保護者が非協力的なチームだと、試合の度に選手・荷物の移動から運搬、主審・塁審などが全て特定少数の保護者の肩にのしかかってくる。
そしてその特定少数の保護者はまた、練習にも必要不可欠な存在となっているのが現状だ。

監督の方針として、保護者がいなくても練習できるチームにしたい、というのがあるが、移動や審判はそこには含まれない。
そして今も尚、その強い影響力を持つ前々監督は「保護者が一生懸命じゃないと選手は伸びない」というポリシーの基、親の参加を求めている。
保護者会長であるウチのおとーさんも、その妻である私も、前々監督のポリシーはその通りだし、理想としては一人でも多くの保護者に参加協力してもらってイケイケのチームにしたい、とは思う。

然しながら現状として、押しても引いても「自営業」「サービス業」「忙しい」「オレがやらにゃ会社が潰れる」という理由から、頑ななまでに参加しようとしない保護者が多い。
「生活の糧」を盾にとられたら、流石に「店閉めて野球に来い」とは言えないのだ。

そしてまた、あまりに強引に参加を要求すると「野球は親が大変だから」という理由から、子どもが望んでも親が野球をやらせないという事態が実際に起こりつつある昨今だから、そうそう強引に参加協力も出来ないという実情もある。

要するに、託児所代わりになる習い事を望む親が多い、ということだ。

監督の「保護者がいなくても十分な練習ができるようなチーム」という方針は、そんな実情を理解してくれているからなのだろう。
理想よりはまずは現実、なのだ。
前々監督や前監督にまで練習に来てくれるように頼むことは、監督として(男として?一国一城の主として?)プライドを少々捨てるような行為なのかもしれない、と思うのだが、チームの現状とプライドを鑑みて、監督はチームを優先してくれたんじゃないだろうか、なんてことも思う。

結局「審判講習会」に来た、「飲み会でしか顔を見ない保護者」はただ一人だったのだけれど(・・・ま、こんなもんでしょ。もうやだ〜(悲しい顔))、「参観日」の話をグラウンドの隅でしていた時、前々監督が言ったことがある。

「親の前で目一杯子どもを怒ってやろうかなドコモポイント

それはとってもGoodなアイデアだひらめきと、私は思う。

なぜならば、子ども達を見ていると、自分の親の前ではほとんどの大人は自分を叱らないと思っているらしい節があるからなのだ。

少なくとも、親が接している大人に対して「この人は親がいても叱る時は叱る人。この人は親がいると叱らないけど親がいないと叱る人。この人は自分を叱らない人。」という、ランク付けのようなものがあるように思える。
「叱る・叱らない」というよりも「叱れる・叱れない」と言った方が的確かもしれない。

確かに、その子の親がその場にいる時、周りの大人はその子どもを叱ることを控える。
それは大人の(親の)コミュニケーション・スキルでもある。

子どもが何か叱られるようなことをしたとき、大人はそれを叱る。
何故叱るのかと言えば、その子どもの行動が自分の常識に反していたりすると、それが気に入らないのだ。
気に入らないから叱る、ということは、子どもに接する上で恐らく「良くないこと」という位置づけになるんだろう。
でも、「この子の(将来の)ために良くないことだから叱る。社会秩序を重んじて叱る。他人を傷つけることは良くないことだと教えよう。云々」なんてことを意識して叱る大人は、まずいない。
多分、ここでもまた人間の機能はショートカットをしているのだろうと考える。

常識なんていうのは人によってビックリする程異なっているものであって、個性が尊重される現代にあっては自分の常識が果たして正解であるのかどうか、それ以前に自分の常識が果たして世間の常識であるのかどうかすら、定かではない。
下手なこと(余計なこと)を子どもに言って、その後ろに控えている大人である親と揉めたくない、という意識が働く。
親同士のコミュニケーション・スキルとでも呼べばいいんだろうか。

大人が子どもに対する、気に入らない、の根っこに潜んでいる「子どもの将来のため」云々という「叱る」という行為の原動力は、大人が大人に対するコミュニケーション・スキルによって無力化され、発動されずに終わることが多いのではないだろうか。

子どもはそれを知っている。
頭ではなく、体で、空気で、それを知っている。

親の前でその子どもを叱れる大人に対して、子どもは一目置く。
ところが親が、その叱る大人に対してどういう態度をとるかで、これまた子どもの態度が変わるのだ。

子どもは所詮、親の威を借る存在なんだろう。
だって、それは子どもの生存率に関わることなんだろうからさぁ。
親が他者に対してイロイロな意味で強ければ強い程、子どもの生存率は高くなる。
これは生物なら当然のことだと思える。

例えどんなに強い親であっても、子ども単体が強い訳ではない。
でもおかしなことに、なぜか子どもは「自分が強くなったような気」になってしまうようだ。
子どもが何目も置くような存在の大人というのは、親も一目置いているんだろうな、と思えるような大人だけでしかない。

教育というのは、良くも悪くも押し付けなのだと私は思う。
ところがこの押し付けは、現代という時代にはまったくそぐわないものとなっている。
私もまたご同様なのだが、「押し付けられることはまっぴら御免」という人間ばかりの現代なのだ。
そんな子ども達(私のような大人も含めて)に何かを教育しようとするならば、まず最初にやることは、心底から「参った」と思わせることなんだろう。

前々監督の「親の前で目一杯叱る」ということは、子ども達を心底から「参った」と思わせるための手段の一つなんだろうと思う。
前々監督はこんなクソ面倒なことまでは考えてないんだろうけど、それは彼の経験から生まれた手段なんだろうと思う。

服従・・・

彼の手段は、子どもを服従させるための行為のように思える。

然しながら、今時の子どもはそうでもしないと大人の言うことなんぞ聞きゃぁしねぇ。

私のようなそんじょそこらのおばちゃんが言うことならまだ判らなくも無いが(気にはいらないが。。。)、監督・コーチという指導者が言っていることでさえ、自分に都合の良いように評価し取捨してしまう。
そして出来るであろう筈のことが出来ず当然叱られるのだが、それは「教え方が悪い」のであって、捨ててしまった自分は悪くないのである。
そしてそういう態度は親にも見られることなのである。

非協力的な親に限って、「ウチの子はナゼ試合に出れないのだちっ(怒った顔)」と言ってくる。

練習をよく休む&いつも遅れてくる。
ラダーやコーンなどのアップになるとお腹が痛くなる。
暑い日は必ず具合が悪くなって、横になって休む時間が多い。
ということで、、、
下手だからだよexclamation×2(西岡スミコ風)

これは何も野球に限ったことじゃない。
学校の中もまた、同じような状況だと私は見ている。
というか、少し前まで学校に足しげく通っていた頃、現実として見ていた。
そんな学校の風景を同じ学校のお母さんに愚痴ったところ
「ソレってどこ情報?」
と言われたことを覚えている。

そんな状況を打開しようとした前年の担任は、なぜか今年、違う学年の担任になってしまった。

私の常識が学校の保護者の中何割かの中では非常識になっているようだ。

つまりは、そーゆー時代なのだ。

そーゆー時代の中で、私達(我が家一同)は学校や社会を生きていかなくてはならない。
古代遺跡のような常識を持ちながら・・・

少々現実逃避を試みようと、ネットの海で一泳ぎしてみた。
とは言っても、私が行く場所はいつもあまり変わらないのだけれど、何せ平日も休日もバタバタとあっちこっち動き回っているので、どこもかしこも「浦島太郎」だった。

そして、ツネノさんのブログから、おもしろいモノを見つけた。

それは「プロ教師の会」という会の「異議あり!」という新聞バックナンバーだった。

プロ教師の会ってナニ???
教師って呼ばれる人のほとんどはお金をもらってそれをやってるんだろうから、そのほとんどの人達はみんな「プロ」じゃないのかしら・・・?

なんて思いながら、とりあえず読んでみた。

彼らはイロイロなことを書いているようだけど、私が注目したのは、今から10年近くも前の記事であるにも関わらず、学校の状況が今私が目にしている状況とまったく同じだ、ということだ。
大抵の流行は都会から田舎にソレ相応のタイムラグの後に流れてくるので、そのタイムラグが10年なのかしら?とも思えるのだけれど、「そーそー、そうなのよねぇ」なんて思って読んだ。

プロ教師の会の人たちが言っていることはゆっくりと考えるとして、私が自分の目で見ている子ども達の状況というのは、あながち私だけが(私の主観が原因でそう見えている)ものでは無いんだろう、と思えた。

で?私はどーすればいいのだ?

「異議あり!」から引っ張ってくれば、「自我の肥満児」達をどうやってダイエットさせればいいんだろうか?
いやいや、別に彼ら・彼女らの自我が肥満児でもメタボでも構わないのだ。
もう少し、ほんのもう少しだけ心の理論を修得して、自分とは違う存在と同じ空間・同じ時間を共有していることを認識して欲しいと思う。

プロの教師さんがおっしゃるには、彼らの自我を傷つけてはいけないのだそうだ。

服従方式で彼らに何かを教えようとする前々監督のやり方は、彼らの自我をどう取り扱っているんだろうか?
一見すると、傷つけるというよりも、叩き潰しているように思える。

でも、そうじゃないのかもしれないなぁ・・・とも思える。

教師や監督・コーチという肩書きも、彼らを感服させる技量も持ち合わせないタダのおばちゃんの自分は、いったいどうすればいいんだろうか?

口うるさいウザイババアだと思われているにしても、今はまだ一応聞いているフリくらいはしてくれる子ども達だ。
街で会えば「しょうがねぇなぁ」と思っているだろうけど、まだ一応は手を振ってくれる子ども達だ。
なんとかするなら今しか無いように思う。

せめて、トレーニングセンターでは真面目にやってくださいもうやだ〜(悲しい顔)
せめて、毎回毎回同じことを監督・コーチやお父さん達から言われないようにしてくださいふらふら

で?私は具体的にどーすれば???


だってそーゆー時代なんだもん3・・・に続く・・・かもしれない
posted by チャマ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、とか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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