2007年05月22日

やりゃーいいのか?

先週の金曜日、半ば強引に会社にお休みをもらいました。

今月私は3日間の平日休暇をもらえるのですが、決算月なので今月末来月初めは想像すらしたくない・・・というか想像も出来ないのですが・・・状況に追い込まれそうなので、ナンヤカヤとこねてくる理屈を力技でねじ伏せて休暇をGetしました。

自分が休めないからって私まで巻き込まないでくれないかなぁちっ(怒った顔)

それと、嫌がらせのように休みの日にどーでも良いことで電話してくるのやめてくれないかなぁちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

どーせ会社にいたって自分のクルマいじってるだけなんだから、人のことは放っておいて欲しいんですけどねちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)

悪貨は良貨を駆逐する・・・

悪貨には駆逐されないぞexclamation×2
と思いつつ、徐々に蝕まれているような気がしてならない今日この頃。

しっかりするんだぁ〜オレフリーダイヤル


ま、それはいいとして、お休みをとったのには理由がありまして、我が家で管理する分の空き地が、まぁものの見事に草ボーボーふらふらあせあせ(飛び散る汗)
子どもの身の丈程もある・・・ってのはこーゆーことを言うのねぇ〜。
なんて感心している場合じゃない。
涼しい午前中のうちに、庭木のチョコットと子どもの身の丈を刈り込みました。

ホント、草むしりじゃなく、草刈りexclamation×2
中学生の時、草刈正雄が好きだったんだよなぁ〜黒ハート
なんて思いつつ、目の前の毛虫は認知しないよう心を凍結しつつ、がんばりました手(チョキ)わーい(嬉しい顔)

草刈正雄ともサヨナラし、毛虫がどこかについてそうな服を洗濯機に放り込み、ひとっ風呂浴びて、お昼ご飯を食べながら、久し振りのお昼のTVにあちこちチャンネルを回しておりました。

で、またまた我が国の国営教育放送に引っ掛かってしまったんですねぇ・・・

良くも悪くも、ここのチャンネルはネタがあり過ぎって気がします。


お母さんのための育児番組なんでしょうかね?
首都の学芸大学だかどこかの、女性の教授だとかって人が、子育てについて教えていました。

出来るしやりたがる子
出来るけどやりたがらない子
出来ないのにやりたがる子
出来ないしやりたがらない子

という4つのタイプに子どもを分けて、それぞれのタイプの子どもにどう対応したらよいか、ということを教えていました。

「出来るけどやりたがる子」については、放っておいても良いという判断でしょうか、スルーしてました。

「出来るけどやりたがらない子」
やりたくない理由があるので、それを理解してあげましょう

「出来ないのにやりたがる子」
失敗しても良い環境を作って、出来るだけやらせてあげましょう

「出来ないしやりたがらない子」
やらないといつまでたっても出来ません。やりたくなるように自信をつけてあげましょう。(だったかな?)

というようなことを言っていましたね。

はっきり言って、それまでとっても心地良い達成感というか、肉体労働による適度な疲労感というか、ま、幸せな気分だったのですが、その番組を見ながら妙な疲労感と違和感がフツフツと沸き起こってきました。

いいのか?それで???


全てのタイプの子ども達に共通していることは、「子どもの納得が前提」ってことだと思いました。

確かに、教授先生のおっしゃるような子育てをすれば、技術的な能力はアップする=出来ることは増えるでしょう。
でも、育てるって「出来ることが増え」ればそれでいいんでしょうか?

そりゃ出来ないよりは出来る方が良いに決まってるんでしょうよ。
でも、「やりたくてもやってはいけない場面」とか、「やりたくなくてもやらなくちゃいけない場面」とか、「出来なくてやりたくなくても何とかせにゃならん場面」とか、あるんじゃないんでしょうか?

納得出来なくてもやらにゃならん、やっちゃならん、そういう教育というのは必要ないんでしょうか?

それは大人になってから体験すれば、それでいいんでしょうか?

私はそれはいつから、というのではなく、親がその背中を見せるだけで、生まれた時から自然に場の空気を読む感性は身に付くと思うんですけどね。。。
最近の子どもって、本当に年々場の空気無視しますよね。
気付かないのか無視してるのかは判りませんが・・・

私は、息子が不登校になって以来、学校とか中間教室とか、子ども達が大勢集まる場所に足繁く通うようになりました。
息子が学校に行くようになってからも、少年野球という場で子ども達を毎週眺めています。

学校での活動にしろ、野球での様子にしろ、私の中の一生懸命と多くの子ども達の中の一生懸命の温度差が年々広がっているように感じます。

彼らは彼らなりに一生懸命なのです。
でも、彼らの一生懸命は、自分が出せるMAXの力を出すことが一生懸命なんですよね。

私が子どもだった頃を思い出してみても、一生懸命というのは自分が出せるMAX以上の力を出そうとすることが一生懸命だったように思います。

例えば、少年野球で外野を守っている選手は内野や別の外野ポジションのカバーをしますが、どう考えてもその走り方では間に合わないだろうという走り方でカバーに行く子がいます。
それではカバーの意味がない。
大人たちは口を揃えて「あれがアノ子の全力なのか?」と言いますが、子ども達は口を揃えて「あれが全力なんだよ。」と言います。
じゃぁ、犬に追いかけられてもあーゆー走り方なのかしら?と私は思ってしまいます。

でも、彼は彼なりに一生懸命で、それも正真正銘の一生懸命なんですよね。

野球少年も息子が通っているトレーニングセンターには、ウチのチームの5年生の選手も何人か通ってきています。
ある時一緒になったそのうちの一人と、野球少年次男坊2号は一緒にトレーニングをしていました。
半月状のマットみたいなものの上に片足で立つという、バランス感覚のトレーニングみたいなことをやっている時、5年生の子はなんとしても出来ませんでした。
傍目で見ている私からしても、とても集中してやっているとは思えず、そりゃ出来ないのも当たり前だろ、と思っていたのですが、トレーナーが近寄ってきて彼の頭の上にカルテが挟んであるボードを乗せました。

「絶対に落とすなよ」
トレーナーがニコリともせずに言ったとたん、5年生の彼は片足でバランスを保って立てたました。

「やれば出来るじゃん」
ボードをつかむとトレーナーは離れて行きました。

サイボーグ009が奥歯を噛みしめてカチッと加速装置のスイッチを入れるようなスイッチが、身体のどこかにあるんだろうと私は思っています。
それは多分無意識にON/OFFしているのでしょうけど、それがONになった時が一生懸命だと私は思っています。
火事場のクソ力みたいな、でもそれよりもちょっとレベルは低いんだけど、そんなスイッチのON/OFFが、一生懸命とそうでないことを分けるような、そんな気がします。

そんなスイッチの入れ方を、私が目にしている子ども達の多くが知らないように思います。

ボードを頭に乗せられた子どもは、それによってスイッチが入ったんじゃないかしら?と思えます。
ただボードを乗せられても、多分その子のスイッチは入らなかったでしょう。
彼の中にある、トレーナー氏への評価が大きなポイントではないかと思うんですよね。
彼にとって、トレーナーからの指示は「出来なくてもなんとかせにゃならん」もの、だったんじゃないんでしょうか。

別の日、別のトレーナーが担当する日でした。
このトレーナーはよく喋るし、あまりキビシイことも言いません。
息子とすれ違いくらいでトレーニングを受けていた子ども達は、もうやりたい放題・・・
大人から高校生から、人数が多かったせいもあって、トレーナーから指示されたことをやっているのやらいないのやら・・・
別メニューの友達のところに行ってるかと思ったら、「先生、もう終わりでいい?」とか聞いてるヤツもいて、息子と顔を合わせながら
「今日来たのは失敗だ。次から曜日変えよう。」ということになりました。

親の中には、そういったトレーニングセンターに通わせれば体力がつくとか野球が上手くなる、とでも思っているらしい親がいます。
そのためには多少のお金は惜しくないのでしょう。
週に2日も3日も通っている選手もいるようです。

でも、本当にそうなんでしょうか???

スイッチを入れずにトレーナーの指示も守れないトレーニングのいったいどこに意味があるんでしょうか?
教える側だって、いくら教えても何も吸収しないどころか、好き勝手に騒ぎにきているような子どもに、真剣に教えようなんて思わないんじゃないんだろうか?って思います。

ウチの2号の場合、リハビリも兼ねてるのでそりゃ一生懸命です。
汗水垂らしてやってます。
だからでしょうか、どのトレーナーも時間をかけて一生懸命指導してくれているように思えます。
気が付いたらまた今日も一番ビリだったね・・・
という日が続いてます。
同じ料金を払うなら、「先生、もう終わりにしていい?」「ああ、もういいよ。」なんてのじゃなく、「あ、もうこんな時間ですね。」ってぇのがいいですよね。
なんか、得してる気分です。


親ってぇのはバカですから、子どもが何か一つでも出来ることが増えれば嬉しいものです。
周りに同じ年頃の子どもがいれば、その子よりも出来ることが多い我が子はまるで高価なアクセサリーのように自慢の種です。
でも、何か出来るようになれば、それでいいのか?
何か出来るようになることが、何を差し置いても重きを置くべきことなのかい?

トレーニングセンターは、整形外科と併設されているので、時折松葉杖をついた人が通りかかったりします。
そうでなくても治療に来ている人がほとんどですから、腰やら腕やら足やら、怪我をしている人がドアを一歩出たそこにいる訳です。
トレーニングをしている子どもの兄弟を連れてくることに何も文句も不満もありませんが、そこいらをドタバタ走り回ることのないよう、親は注意して欲しいです。
ウチの息子が病院やそういった施設で走り回ることは、私が許しません。
それは、学校に行くことよりも、野球が上手くなることよりも、肘が完治することよりも、ずっとも大切なことだと私は思っています。

子どもだけをそこに置いて行くのは結構ですが、自分の子どもが親の目の届かないところでどうなるか、見極めた上でお願いしたいです。
第一、親がいたって言うことなんて効かないじゃないのさちっ(怒った顔)


「出来るけどやらない子」は、どうすれば良かったんだっけ?

TVの教授先生のご指導によれば、ドタバタ走り回ったり、トレーナーの指示を聞けない子ども達の、ルールを守らない理由を理解すれば良い、ということであります。

んなもん、理解したくもないワちっ(怒った顔)

ドタバタしちゃいけない場所だからしちゃいけないのexclamation
トレーナーの指導を受けるために来てるんだから指示されたことは守るのexclamation×2
アンタ達がそれに納得いこうがいくまいが、そんなことはカンケーないのちっ(怒った顔)パンチ

ところが現代は「そんなルールがあるから悪い。ルールを変えろ。」「子どもはそーゆーもんなんだから仕方ないじゃない」と、こーこきゃがる。

結局は、子どもが叱られたことで親として恥をかいたってことを無かったことにして、自分を正当化したいだけじゃん。

そんなメカニズムにうすうす気付いているからこそ、声高に「私は、ウチの子は悪くない」と言うんだろう。

・・・と思っていたのだが、どうやらそんなことには全く気付いていない親も案外多いことに最近気付いた。

ゲに恐ろしきカナ 不感症


子どもは親のアクセサリーじゃない
「ウチの子はこんなことが出来るザァマスのよ」
なんてことを自慢したい親向けの内容じゃなく、もっと大切なことをTVでは・・・特に国営放送であるのならば、教えて欲しい。

世の中すべて、子どもを中心に回っている訳じゃない。
家族もまた然り。

親にだって言い分もあれば都合もあれば感情もある。
それらを子どもに合わせましょう的な子育てをタレ流すのはやめて欲しい。
親は子どもの都合に合わせるし、子どもは親の都合に合わせる。
どちらかが一方的にそうするんじゃなくて、お互いにそうするのが人間関係の基本ってヤツなんじゃないんだろうか。

何かが出来るようになるために、手を変え品を変え、手取り足取り・・・子どもの都合に親が丸ごとゴロっと合わせる。

そーゆー育てられ方をした子どもが親になって今、どーなってる?
自分の思うようにならない物事どころか、人間まで排除しようとしてるんじゃないんだろうか?
自分の親然り、自分の子ども然り・・・

どうせ税金で作っているならば、もうちょっと視聴率無視の中身重視で番組制作にとりくんではくれないでしょうか?
国営放送さん。
posted by チャマ at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、とか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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