2007年05月09日

心理学的にって・・・?

月末月初めの喧騒もなんとか終焉を向かえ、スッポリと暇な今日。
お天気が良いせいか、営業の皆さんは外回り。
事務所は一人事務員の私一人。。。
ということで、サボッてます。
仕事・・・ドコモポイント


午前中、取引先の方がみえました。
事務所の片隅にあるテーブルで、担当者とコーヒーブレイクをされておりました。
つーか、ウチに来る取引先の人たちって、仕事に来るんだか暇つぶしに来るんだか、愚痴をこぼしに来るんだか・・・ってカンジの方が多いのですが、私としてはそれもまた宜しかろう、なんて思います。

だって、人が寄り付かない会社ってぇのもねぇ・・・

ま、田舎モンの発想だと言われればそうなんでしょうが、田舎には田舎の流儀っちゅうもんがある訳ざます。



今日来社された方もご同類でしてね、もっぱら取引先の上司の愚痴をこぼして帰られました。
社長の息子さんでもあるこの上司様には、実のところ弊社でも頭が痛いのでございます。

なんと言えばいいんでしょうねぇ・・・

高齢であらせられるお父様社長は事実上現役は引退されているので、実質的に会社を切り盛りしているのはこの上司様です。
小さな加工会社ですので、経営から営業のみならず、現場の仕事もこなされている上司様ではあるのですが・・・

その仕事っぷりたるや、かなりズサンふらふら
ズサンというか、要するに面倒くさがりなんですよね。
帳尻さえ合わせればいいじゃないか、というタイプです。
加工図面を無視して加工しちゃうこともあったりして・・・
何度かトラブッたりやり直したりしています。

一応、一級建築士でいらっしゃられるそうで、そのあたりの妙なプライドというのがあるんでしょうかねぇ???

今日ウチの会社に来られた方は、その都度「勝手にそんなことしちゃマズイですよ」って言っているんだそうですが、「こうした方が良いんだからいいんだ」と言ってやっつけちゃうんだそうです。
そしてクレームは弊社に来る・・・

仕事が暇な時はもちろん、忙しい時であってもアフター5は実に充実した日々を過ごされているそうで、おねぇちゃんのいるお店が大好きなのだそうです。
そして現場の方たちはほぼサービスに近い残業が毎日。
愚痴をこぼしに来た方が以前
「オレ半月以上休みもらってないんですよ・・・」
と言っていたこともありました。

でも上司様はほぼ毎晩飲みに行ってるゾと・・・

そんな面倒くさいことが大嫌いな上司様ですが、加工の手早さには自信があるらしのです。
来社された方は、自他共に認める「早くて丁寧できれい」な仕事をされる方でして、たまぁ〜に上司様と同じ作業をすることがあると、なぜか上司様が異常な闘志を燃やすらしいです。

「オレの方が早いんだ」オーラ全開でガンガン仕事をこなしていかれるらしいのですが、その出来栄えはと言えばもうやだ〜(悲しい顔)
結局あとで全部やり直しになるのですね。

「そんなどーでもいいようなところにエネルギーを注がないで、もっと注がなくちゃいけないところに注いで欲しい」
と、来社された方は嘆いていらっしゃいました。

すると、弊社の担当者が私の方に向かってこう聞いてきました。
「ねぇ、チャマさん。これって心理学的に解釈したらどーゆーこと?」

・・・・・・・・

そんなこたぁ知りません。
あたしゃ心理学者でもなければ、精神分析医でもございやせんやぁ。
しがない小さな会社の事務のおばちゃんでさぁよ。

そりゃほんのチョット、例え放送大学とはいえ「大学」と名のつくところで「心理学」と名のつく科目は勉強しましたよ。
だからって「心理学」の全てを知っている訳でも、カウンセラーの真似事が出来る訳でも、精神分析ができる訳でもございません。
第一、しっかり十二分に勉強したからってそういうことが出来るようになるとも、私には思えません。

はっきり言って、愚問だ、って思いました。

こんな愚問を投げかけてきた弊社の社員は、とても頭の良い人間です。
輝かしい経歴もお持ちです。
難しいことも沢山ご存知ですし、本も沢山読んでいますし、セミナーとか大好きで、とても勉強家でもいらっしゃいます。
何年後かには、弊社を引っ張っていくだろう存在です。

ただ一つ、私がどうしても消化できないこの人の性質があります。
「正解はただ一つでそれは自分が判っているもの」
ということです。

彼は「人に指図されるのは嫌だ。だって間違っていたら嫌だから。」
と言います。

はっきり言うと、私自身もまた、そういう傾向が強い人間だと思います。
ただ、彼よりも13年も長く人間をやっていると、「正解は一つじゃない」あるいは「正解は人によって異なるのだ」あるいは「間違ったらその時に修正すれば十分間に合う」あるいは「間違ったらそれもまた良い勉強の一つ」などなど、そんなことも判ってきます。
似たような性質の傾向を持っているからこそ理解出来なくも無い彼の考え方や行動ですが、その一方で「そーじゃないんだよねぇ」なんて思ったりもする訳です。

今日の「心理学的に言ったら・・・」という問いかけもまた、彼の知識至上主義とでも呼べるような性質が現れています。
彼の正解は、彼の経験と知識だけから導き出されているものなのですよね。

当然のことながら、大抵の人間は彼とご同類です。
偉そうに書いている私もまた、ご同類です。
ただ、ほんの少し、自分が見たことも聞いたことも経験したこともないことが「正解」だってこともあるんだ、ということを理解しているだけです。
事実はまた小説より奇なり、ということが実感として判っているだけ、もしくは知っているだけの違いでしかないんだろうと思います。
理解はしているけど、その理解もまた「知識」の範疇でしかないのかもしれません。

「正解は本の中だけにあるのではない」
と私は思っているのです。

前出の上司様が、加工作業になるとムキになってまるで競争しているかのように作業をすることは、恐らくそこに彼の「プライド」がぶらさがっているからなんだろうと私は考えます。

発達の段階で何か問題があったのか否か、もしあったとしたらどんな問題が考えられるか、とか、そういう行動は専門用語で何と言うのか、とか、そんなことは私には判りませんし、知っていようといまいとどーでも宜しいことだと考えます。

そんなこと知ってどーする?

心理学的にそれが何故なのか、どう呼ばれているのかは判らなくても、そういった行動は彼の「プライド」に起因するんだろうなぁ、という想像はできる訳です。
こんな私の想像が果たして正しいのか間違っているのかを誰見ても判るように表現すること、それが学問です。
何度も書いているように、世の中にある全ての学問はどう足掻いてみても人間が暮らしている世界の外にある事象についてである筈がないのです。
火の無いところに煙は決してたたないのです。

学問なんてのは、火を見た人間がまず「想像」したことから端を発しているもんじゃないんでしょうか。
それらを何らかの形で証明できたもの、それが学問と呼ばれているのではないでしょうか。

もしそうだとしたら、私が上司様の様子を聞いて「想像」した答えだって強ち間違っているとは限らないのですよね。
学術的な言説がないからって、それが即ち間違いだとは限らないのです。

もしかしたら、上司様のような行動や心理的・精神的働きについてはなんらかの名称がつけられていて、もしかしたら、発達の段階で「こーゆーことがあった(なかった)から」というような説があるのかもしれません。
そんな知識がなくても、人間は生きていく中で、知識ではなく実感として(・・・実感も「そっかぁ〜」と思った時点で知識になるんでしょうかねぇ・・・?)、そういうことがなんとなく判るものです。

それじゃダメなんでしょうか?

世の中にある様々な現象のその殆どは、未だに学問と呼ばれる領域の外にいるんじゃないんだろうか、と私は思うのです。
世の中にある様々な現象を誰にも判るようにデータ化したり文字化したり数字化したりすることが学問だと言うなら、私の身の周りに存在している現象の殆どはそんなことは出来ない、と思えます。

身の周りに起こる様々なことを考える時の屋台骨が「学問」というのは、あまりに世界が狭すぎるような、そんなカンジがします。
学問や知識を重んじるあまり、経験とか実感とか想像というものを軽んじる姿勢には、正直首を傾げたくなります。

取引先の上司様が心理学的見地から何を起因としてそうするのかなんてことよりも、そーゆー人間がいる、で?どう向かい合っていくのかを考えることの方がずっとも大事なことじゃないんだろうか、と思います。
そこにはたった一つの正解なんてなくて、その会社で生きていく人間にはその人の、その会社の担当者である弊社の人間にはその人の、その会社の取引先である弊社の事務員である私には私の、それぞれの正解はそれぞれにしか当てはまらなくて、それだけの数の正解があって良いんじゃないのか、と思います。

ウチの会社の担当者は、「アナタはそれを言っちゃダメだよ。言うならオレが言った方がいいよ。」なんてことを言っていました。
彼もまた、その行動として「アナタと私の正解は違うのだ」ということを現しているのです。
でも、頭で考えると・・・「オレの正解がただ一つの正解」であり「学問がすべて」になってしまうのですね。
「心理学的には判らないけど、こーゆーことじゃないのかな」
などという言葉には、「なぁんだ」というオーラを出してしまうのですね。

でもね、考えてみると、例えば一人の人間の言動を取り上げて「それは発達の段階で・・・」なんて論じること自体が、すでに「想像」の域なんですよね。

想像できる範囲はその人の中にあることだけ、ですからね。
経験できない部分を学問で埋めることと、足りない学問を経験で埋めることは、同じじゃないのかな、なんて思います。

納豆ダイエットは、学術的にはその成分には何ら痩せるという根拠もなく「ウソ」と断言されました。
然しながら、実際には「痩せた」という人がいます。
会社の若い衆の「想像」によると、納豆でご飯を食べると他のおかずを食べなくなるからじゃないか、ということでした。
だからこそ、「ヤラセ大嘘」報道の後でも納豆が売れ続けているという不可思議な現象が起こるのだろう、と。

身についている学問が少ないと判らないことが多いのは当然のことです。
そんなことは誰もが判っているのですが、逆に博学であっても経験が浅かったり想像力が乏しかったりすると判らないことが多い、ということは案外誰もあまり考えないのかもしれません。

学問ばかりでも、経験ばかりでも、片手落ちなんですよね。。。

人間に完全体なんてないって思います。
でも、少しでもそこに近づきたいと思うことは、間違っていることではないと思います。
生涯学習の「学習」は、学問を学習するだけじゃない、と私は思うのですよね。

今日はホントに暑いです。晴れ晴れ晴れ
地球温暖化なんでしょうかねぇ。。。
でもね、地球温暖化って本当は何が原因かなんて、判ってないんじゃないの?って思います。
地球自身の老化現象かもしれないじゃん、なんて思います。
だからって何もしなくていい、って訳じゃないですけど、所詮人間なんてギリギリにならないと慌てないんですよね。

もうすぐ終業時間です。
終業のベルと共に退社するために、私も少々慌てて残った仕事を片付けなくちゃ、ですね。
posted by チャマ at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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