私の生活=人生の基盤である家庭の中では、おとーさんと息子が二人。
次男が生まれてもうすぐ12年。
私は家の中で自らを「女王様」と言ってハバカラない。
そして息子たちがお世話になっている(なった)少年野球の世界もまた、オトコの世界なのだ。
私がソフトボールなんぞを始めて、低学年チームの球拾いに行くようになって、流石に「女王様」とは公言できないものの、子分を率いる女親分よろしく激を飛ばしたりしたりしている。
更に更に、会社ときたら、これまた私が紅一点なのだ。
こんなおばちゃんでも、とりあえず戸籍上は「紅」の部類に入る。
そんな訳で、1日24時間、7日ある1週間のほとんどの時間を、「紅一点」の存在として過ごしている今日この頃。
こんなに周り中オトコだらけだったことは、未だかつて・・・ない。
私は母子家庭に妹と一緒に育った。
学校はずっと共学だったけど、部活は女子部だった。
最初に就職した会社は、30対3の割合で女性ばかりだったし、実際に仕事をする場所は女性しかいなかった。
そこは差し詰め「女子高ってこんなカンジなんだろうな」ってな空間で、春・秋の花粉症の時期になるとティッシュを鼻に詰めて仕事をしている先輩やら、目玉クリップで髪を留めている同僚やら、制服のスカートを煽って冷をとることはごくごくフツーの行為だったりした。
女同士の怖い怖い勢力争いに挟まれたりすると、どれだけキレイな着物が着れても絶対に大奥には行ってはイカン!なんて思える。
オンナという生き物のプライドは半端ナイ


なんて思っていた。
次に会社では、ソレなりの数の男性とソレなりの数の女性がいて、「へぇ〜」「ふぅ〜ん」なんて思える場所だった。
そこで思ったことは、「男性ってぇのは余程頭に来ても態度や口に出すことはないんだなぁ。」ということだった。
私の中で、その理由はこうだからだろう、ということで納得した。
その理由とは・・・
「男性はもしかしたら一生その会社に居続なくてはならないからなんだろう。」
ということだった。
転職することは簡単だけど、じゃぁ今貰っている給料と同じ額、もしくはそれ以上の給料で新しい職場が見つけられる人というのは、あまり居ないんだろうって思う。
年を重ねれば重ねただけ、勤続年数が多ければ多い分だけ、難しいんだろうって思う。
人並み外れたナニカ・・・手に職でもあれば話は別なんだろう。
それだって「資格」という、誰にでも判る「手に職がありますよ」という証明がなければ、なかなか難しい。
家族を抱えて、それも小さくても役職なんてもらっちゃったりすれば、オイソレと波風なんぞは立てられないんだろうなぁ。
自分自身のプライドよりも、肩書きというプライドに重きを置くんだろうなぁ。。。
何も守るものを持たない小娘は、好き放題なことを言いながら、そんなことを思っていたりした。
「アナタの言ってることは間違ってる!」
なんて言って、書類を叩きつけていた前の会社の先輩の方が、ずっともプライドの塊に思えた。
そして私の中では「女性の方が男性よりもプライドが高い」という法則が出来上がっていった。
そして今。。。
ぜぇ〜んぜん違う


ということがよく判ってきた。
私はこの年になって、やっと「オトコ」という生き物の摩訶不思議さが見えてきたように思う。
「永遠の少年」
とか言うけど、本当にオトコという生き物は子どもなのである。
オンナはみんな自分の「ママ」だと思っているのである。
一言で片付ければ、「何でもやりっ放し」なのである。
人によって程度の違いこそあれ、大なり小なり基本は「やりっ放し」なのである。
後始末はすべて、「オンナがやるもんだ」と思っていやがるのである。
それが「当然」だと思っていやがるのである。
やってもらって「アリガトウ」などとはコレッポッチも思っていないのである。
男性諸氏の中には「そんなことはナイ!ありがとうって思ってるよ」とおっしゃる方もいらっしゃるだろう。
だったら「ありがとう」なんて思わなくてもいいから、ヤレ

やりっ放しの後始末をさせておきながら、その不始末を指摘されるとオトコという生き物はとてもプライドを傷つけられるらしい。
そんな訳の判らないプライドであっても、傷つけられたくなかったら、ヤレ

永遠の少年・・・というのは、決してやりっ放しが許されるための免罪符ではない。
男は夢を追いかける生き物・・・というのもまた、やりっ放しが許される免罪符でもない。
永遠の少年も永遠の夢追い人も、基本は全てを自らで賄おうとする気持ちがあってこそ、手助けをしようとする存在が現れるのだと思う。
やりっ放し前提で最初からやり散らかしを誰かに後始末させようなんて、もっての他の外なのだ。
それは永遠の少年でも永遠の夢追い人でもない、ただのとっちゃん坊やと言うのだ。
男は理想を追い求めて、女は現実を見る。
よくそー言われるけど、人生の折り返し地点まで来てみて、私にはそうとも言えるしそうじゃないとも言える。
男が理想を追い求めるコトに女は現実を見て、男が現実を見るコトに女は理想を見る(ことが多い)のではないだろうか。
だからこそ、この世は上手く回っているんじゃないんだろうか。
女が幼稚なオトコドモの後始末に辟易して、「ならばオトコの様にやりっ放しで・・・」なんてことになってしまったら、この世はどうなっちゃうんだろうか。
いったい誰が後始末をするってぇんだ?
私に専業主婦をやらせてくれ。
私にただただ子ども達の応援をさせてくれ。
私に事務仕事なんかさせないでくれ。
働いていた方が、グラウンドで球拾いをしていた方が、パソコンとにらめっこしていた方が、そっちの方が私にははるかに楽チンでおもしろい。
そっちの方が、明確に目に見えて成果を得ることが出来るのだから。
それに、タダ一つのことだけをやっていればいいのだから。
でもそれはオトコの特性が活きるコトだと私は思う。
こう見えても戸籍上は「紅」の部類に入る私としては、私の特性が活かせることで開花したいと思い始めている今日この頃。
それをさせてくれない周囲の男性諸氏よ、頼むからしっかりしてくれ

そろそろオムツは外してもいいんじゃないか

