2007年02月12日

座禅 初体験

昨日、生まれて初めて座禅というものをやってきました。
息子2号選手がお世話になっている少年野球チームの行事の一環でした。

長男1号がお世話になっていた当時、やはり座禅をやったことがありましたが、この時は私は参加しませんでした。
でも、一度やってみたかった座禅・・・

今年はウチのおとーさんが保護者会長になってしまったので、週末のみならず平日さえもナンダカンダと雑用係をしている私ですが、折角そんな役を仰せ付かったのですから多少は私情を挟んでも許して頂けるでしょう・・・ってな訳で、冬の行事に「座禅入れてexclamation×2」と女王様オーダーを出した私でした手(チョキ)わーい(嬉しい顔)




通知のプリントには「保護者の皆さんも是非ご参加ください」と書き入れましたが、案外多くの保護者の方たちが参加して下さって嬉しかったです。
然程広くはない本堂に、50名弱が集まって座りました。
お寺さんで用意して下さった座布団が一つ足りず、保護者会長の妻である私はただ一人、廊下で座禅をすることになってしまいました。
廊下ですからね・・・風通しが良すぎて寒かったですわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)
とは言え、お寺ですからトッパライで、空間的には皆さんと同じ空間にいました。
壁に囲まれてなくて畳が敷かれていなかったってだけの違いです。

まぜ、ゴッシャンから・・・オラが村地方では和尚さんのことをゴッシャンと呼びます。なんでかは知りませんが・・・
ゴッシャンから、「子どもさん達は脱ぎ履きが大変でしょうが、保護者の皆さんは靴下が脱げる方は脱いでください。その方が座禅を組んだときに足がずれなくて楽ですよ。」と指示がありました。
見ればゴッシャンは思い切り素足・・・

お寺の本堂というところは、まずどこのお寺さんでも冷暖房装置なんて置いてません。
そして、住居部はともかく、本堂というところはなぜかサッシではなく昔ながらの木の枠で薄いガラスの窓です。
またまたそして、なぜかあっちもこっちも開けっ放しで空気はスッカスッカなんですよね。
早朝とは言えないにしても、オラが村の朝9時というのはまだ寒いです。
しかも昨日は快晴で、日差しは強いものの日の差さない屋内は差し詰め冷蔵庫・・・

それでも座禅が少しでも楽になると言われれば、脱ぎましたよ、ソックス。
座禅の後帰宅されるお母さん達はしっかりとタイツとかストッキングとかを履かれていたのですが、私は子ども達と一緒に体育館でしたので、ジャージにソックス・・・脱ぐしかないでしょ!わーい(嬉しい顔)かわいい

「座布団の後ろに立って下さい。座布団足りますか?」
というゴッシャン。
なんとまぁ、座布団の上に立っちゃう子どもの多いこと・・・
本堂に入っても帽子を取らない子どもの多いこと・・・
小うるさい姑のように、一々「座布団を踏まない!」「帽子を取る!」と言って回らないとならない会長妻だったりします。

さて座布団を二つ折りにして座ると、「動かない」ということはどういうことか、というような話がありました。
前日のベースボールコンディショニングセミナーでもお話があったように、「集中」に繋がるということでした。
動かないでいること、というのは実は難しいことなのだ。ということを、座禅の座り方を教えていただきながら伺いました。

座禅の座り方というのは、両腿の上に足をのせたアグラのような体勢だと思っていましたが、ここのお寺では片足だけでもOKなのだそうです。
出来る人は両足で・・・ということでしたが、実は私は膝をやっつけちゃう前だったら出来たんです、コレ。
でも今は、一瞬ならできますが、その後の膝の具合が超悪くなってしまうので怖くて出来ません。
片足ならなんとか・・・

そして姿勢を正す。
背骨を真っ直ぐ上に伸ばして、おへその下=丹田を突き出すようにし腰骨を伸ばす。
丹田のその上に体を乗せるようにする。
だから座布団を二つ折りにして、体重が前に乗せやすいようにするのだそうです。

次に呼吸を整える。
口はしっかり閉じて、鼻から息を吸い、丹田まで行き渡るように吸ったら、吸った息が残らないようにしっかり吐く。
慌しい呼吸ではなく、ゆっくりと呼吸する。

そうして気持ちを静めたら、座禅が開始されます。

姿勢⇒呼吸⇒気持ち
という順番なんだそうです。

拍子木がなって、座禅がはじまりました。

ゴッシャンがおっしゃる通り、動かないということは実に難しい。
少し気を抜くと、すぐに身体は猫背になってくるし、顔は下を向いてしまうんですよね。

座り方を教えていただいている時、ゴッシャンがおっしゃったことは
「今はあちこち力が入っていると思います。徐々に力を抜いていきましょう。」ということでした。
座禅を始めたばかりの時は、姿勢も呼吸も、思い切り気にしないと出来ないのです。
でも、少しそれに慣れてくると、「あ、ここにこんなに力がはいってるんだ。」というのが判ってきます。そしたらそこの力を抜いてあげれば良いんだということが判ってきました。
私の体が座禅の姿勢を保つために、ここだけは外せないというポイントだけを残して、徐々に力を抜くことが出来るようになりました。

何回か座禅をしたら、恐らく座禅をするための姿勢に特別な意識をせずとも、座禅の姿勢を保てるようになるのでしょう。

図らずも二日続けて「姿勢」ということについてのお話を伺ったのですが、これは以前ゴルフレッスンのTV番組でインストラクターが言っていた
「人間の動作というのは筋肉の記憶から成っている」
ということに繋がってきます。
その動作を筋肉が記憶できてしまえば、あとは意識しなくてもその動作をすることが出来る、ということです。
裏を返せば、最初は集中して意識して筋肉にその動作を記憶させなければならない、ということです。
筋肉の記憶、というのは、筋肉を司っている脳のネットワークを構築・確立させる、ということなんでしょうね、きっと。

だから練習が必要であり、素振りが必要であり、イメージトレーニングが必要であり・・・
子ども達にそれを理解し納得し実行しろと言っても無理な話でしょうが、それは野球のみならず生きていく上でいろいろなことに共通していることだと思えますから、いつかそのうち、「ああ、そーゆーことだったのか」と思ってくれたらいいなぁ、なんて思いました。

さて、20分ずつ合計40分、座禅をやったのですが、普段の生活でこれほど静かな時間を過ごすということは、まずありません。
風が吹いた時にカタカタいうガラスの音とガタガタいう木の枠の音を聞いたとき、「ああ、そうだ。。。お寺ってなぜかサッシじゃないんだよなぁ〜」なんて思いました。
鳥のさえずりが聞こえた時、「鳥の声だけ聞くって久し振りだなぁ」なんて思いました。

あまりキレイな話ではありませんが、いつもはカラッカラな口の中が、なぜかダラダラと唾液が出てきます。
どうやら私は座禅をしていて、とてもリラックスしていたらしいです。

座禅といえば警策って言うんですか?棒でバシッ!と叩かれることを思い浮かべますよね。
これはゴッシャン情報ではなく、会社の同僚情報なんですが、座禅の時に棒で叩くのは、邪念が云たらとか動いたからどーたら、って訳ではなくて、本来は「無」の境地から呼び戻すためのものなのだそうです。
徳の高い僧であればある程、無の境地に行ってしまうらしいです。
で、無の境地ってのは、見た目は白目をむいてヨダレを垂らした状態を言うのだそうで、そこから呼び戻すために「バシ!」とやるのだ、と言ってました。
私たちはそんな境地には程遠い存在ですので、、、なんせ座禅初めてだし思い切り俗物だし、、、2回目の座禅の時に「警策を希望される方は私が回っていきましたら合掌してください。合掌されていなくても動いている方は叩きますけどね。」とゴッシャンはおっしゃいました。
以前の座禅会に出席したウチのおとーさん曰く「叩かれるとなんだか気持ちいいんだよなぁ」なのだそうで、私も希望しよう!と心に決めた瞬間でした。

子ども達も保護者の方たちも、全員ではありませんでしたが思った以上に合掌した方が多かったです。
私はと言えば、たった一人廊下に取り残されている身でして、いったいどのタイミングで合掌したものか悩んでおりました。
もうね、瞑想も無の境地もなく、ひたすらどのタイミングで合掌しようか、そればかり考えておりました。
結局一番最後に、ゴッシャンが一通り回られて戻ってこられたところで合掌をして叩いてもらったんですが・・・
なにせホレ、廊下でしょ。。。
警策を振りかぶる?スペースがないのですね。柱があって。。。
合掌してゴッシャンが来て下さったのは良いのですが、
「ちょっと斜めに移動してください」
と言われて、足はしびれてはいないものの、足首の関節が固まってしまってチャチャっと動けないんですね。
妙な汗をかきながら、やっと叩いてもらったんですが、思ったよりしっかりした棒でビックリしました。
「あ〜、モノで人から叩かれたのって小学校のケツバット以来だ〜」
なんて、妙に懐かしいというか、なんというか・・・
しばらくして叩かれたところがポカポカして、気持ちよかったです。

憎しみから叩かれるのは痛いですが、こーゆー叩かれ方って全然痛くないんだなぁって知りました。
そりゃ本業のお坊さん達が修行でやる座禅の叩き方とは全然違いますが、それでも決してゆるい叩き方ではなかったです。
でも痛くない。
叩き方も上手いんでしょうが、それだけじゃない何かもあるんだろうっ
て思います。

帰り際、保護者を前にゴッシャンがおもしろいことをおっしゃいました。
「皆さん合掌されて背中を丸めるのを見ると、『ああ、疲れてるんだなぁ、ココ叩いたら気持ちいいんだろうなぁ』って思うんですよ。」
ですって。
もしかしたら、ゴッシャンはそーゆー場所を狙って叩いてくれていたのかもしれないですね。
確かに利きますよ、警策。

お鐘(りん)が鳴って、拍子木が叩かれ、座禅が終了しました。
組んだ足を崩す前にも合掌をして、ゆっくりと足を崩します。

このお寺では毎週土曜日、夕方から座禅会をやっているのだそうです。
「いつもガチャガチャと動いている人は集中することができないのです。集中できないということは、物事をしっかりと考えることもできないのです。」
とおっしゃっていたゴッシャンですが、昨日のコンディショニングセミナーのようなフィジカル面のプロフェッショナルからの意見と、ゴッシャンのようなメンタル面のプロフェッショナルからの意見が一致する、というのもおもしろいことだなぁ、と思います。

時間をみつけて行ってみようかなって思います。

このお寺のお子さんは、実はウチの次男坊2号選手と中間教室で一緒でした。
中間教室ではゴッシャンともお母さんともお話したことはありませんでしたが、行き来の車からは何度か拝見したことはありました。
帰り際、そんなお話をして、去年中学生になって中間教室を卒業していった息子さんは元気にやっていますか?と伺ったところ、
「お話を伺って息子も『2号クンも来るかなぁ』って楽しみにしていたんですが、風邪ひいちゃって寝込んじゃってるんですよ。」
残念・・・・・・・・

でも元気そうで(風邪引いて寝込んでるけど・・・)よかったるんるん

大人が思っている程、子ども達にはセミナーも座禅も、心の奥底になんて響いてないんだろうって思う。
それでもいいだよね。
感じたこと、覚えたこと、教えてもらったこと、、、何か一つでも覚えていてくれてれば、いつか何かの拍子に「ああ、そーだったのか」って思ってもらえればそれで良いのだ。

おばちゃんはとっても沢山、いろいろなことを感じることが出来たって思うぞ。
それは私が大人で、いろいろな経験もしていて、何よりも人の親だからなんだろうって思う。

なんでもやりたがり、ってのも良し悪しなんだけど、今回ばかりはやって良かったなぁ〜〜〜。

皆さまも是非体験してみてはいかがでしょうかわーい(嬉しい顔)ぴかぴか(新しい)
posted by チャマ at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | おっ?! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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