2006年11月12日

誰が言ったのか 何を言ったのか

人間というのは、とかく目の前の他者を査定する生き物だと思います。
人間というよりも、動物というのはどの種もそういうものなんだろうと思います。
それが生存に直結するからなんだろうと思います。
人間で言うならば、自分が所属している社会での生存に直結するのだろうし、その社会での自分の立ち位置をより良いものにするのかまたはその逆にするのかに直結するのではないでしょうか。

目の前の人間を査定しながら、相手が自分をどう査定したかも探っているのでしょう。

特に子どもは、自分がこれから生きて行く上で有益となる情報を目の前の大人がどれだけ提供してくれるのかを査定するのだと思います。
そして大人がその査定によって他者をランク付けするのと同様に、学ぶ相手をランク付けするのでしょう。

だからこそ、子どもをバカにしてはいけないのですよね。
大人の査定より、子どもの査定の方がずっともシビアですから。




大人は・・・子どもも年齢が高くなればなる程、肩書きという目くらましに騙され易くなるように思います。

以前にも書いたのですが、ウチの息子がお世話になっている少年野球チームの一軍の子ども達の多くが、監督・コーチ・前監督・某有名体育大学卒の保護者以外のアドバイスには耳を貸さない、という事態が発生しました。
確かに、彼等と比べたらその他のお父さん達は野球も上手くは無いですし、肩書きも持ち合わせてはおりません。

でも、だからと言って、その他のお父さん達が言っていることが間違っているかと言えば、決して間違ったことは言ってはいないのです。
逆に、某有名体育大学を卒業されたお父さんのおっしゃっていることの方が、おかしかったり的を外していたりすることが多いのです。

ある時、私の目の前で二軍の4年生の子が素振りをしていました。
そこを通りかかった某大卒のお父さんがアドバイスを始めました。
「もっと腰を回さなくちゃダメだ。」

おっしゃる通りです。

ところが何度やっても、その子は腰が回せないんですね。
まぁ、練習にはほとんど来ず、自分が出る二軍の試合があるってぇ時にしか顔を出さないような子ですから、素振りなんてものもあまりやっていないんでしょう。
バットを短く持たせたり、腰に手を当てて「こうやって・・・」とやっているんですが、どうも上手く行かない。
しばらくして、そのお父さんは「素振りちゃんとやれよ。」と言い残して去っていきました。
残されたその子は、教わったことを確かめるように何度か素振りをしたのですが、その様子を見て私には判ってしまいました。

原因はスタンスだって・・・

踏み込む左足が、構えている時と同じ位置に降りるのですね。
ってことは、バットを振る時のスタンスが狭いのです。
腰なんてまともに回りっこない・・・

「腰を回せ」
そう言うのは誰でも思いつくことです。
見リャ判ります。
でも、目の前の子どもがなぜそれが出来ないのかが的確に判らなければ、それを修正するためのアドバイスはできないのです。

幸いなことに、その子はこんな「ウルサイおばちゃん」の言うことに耳を傾けてくれました。
アドバイスをしたのはタダのウルサイおばちゃんですが、そのおばちゃんが教えたことは日頃、監督・コーチが子ども達に教えていることを見聞きしていて知り得たことなのですから、間違ってはいないのです。
自分の一番良い踏み込む位置の探し方まで伝授することができました。
これもまた、監督・コーチからの受け売りです。

私のようなタダの「ウルサイおばちゃん」の言うことをナゼこの子が聞いてくれたのかと言えば、単に「ウルサイ」からでしょう。「怖い」からかもしれませんふらふらあせあせ(飛び散る汗)
それもまた、ある意味「肩書き」なのかもしれませんけどね。目あせあせ(飛び散る汗)

何らかの情報を受け取った時、その情報の真偽やら重要性を吟味できないのであれば、発信源の「肩書き」を基準にしても良いのでしょう。
でも、多少でも自分で吟味することが出来るのであれば、「誰が言ったのか」に比重を置くのではなく、「何を言っているのか」に重点を置くべきでしょう。

ポケットに手を入れて話していながら、ポケットに手を入れて話を聞いている人間に対して
「人の話を聞くときにポケットに手を入れてるとは何事だちっ(怒った顔)exclamation×2
と言う人間に対して、
「お前だってポケットに手を入れてるクセに人のこと言うなちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)
と返すのは、お門違いだ、ということです。

指摘した人間がどうであれ、人の話を聞くのにポケットに手を入れているという失礼な行為を自分は紛れもなくやったのですから、その行為を反省し、改めれば良いだけの話です。


指摘した人間がどれだけ失礼なヤツなのか、なんてことは、自分にとってどうでも良いことです。
その失礼な態度が自分に被害を及ぼすなら、話は別ですけどね。

そんなことは判っていても、なかなか実践できないのが人間であり、特に私という人間でもあります。
でも、どうも世の中を見ていると、指摘された内容はキレイさっぱりどこかに吹っ飛んでしまって、指摘した人間の不適切な態度のみがクローズアップされて取り沙汰されているような気がします。

そうしている限り、指摘された物事に対しての反省はもちろん、改め同じ失敗を繰り返さないという学習も成されないのでしょう。
そして何度も同じ失敗を繰り返すのでしょう。

だ〜か〜ら〜、いくらクラス替えをしても、担任を換えても、何も変わらないのです。
担任の先生に「信頼」という肩書きが付加されなければならないのだ!と言われるのは、そういうことがあるからでしょう。

信頼は無いよりも有った方が、そりゃ良いに決まってる。
でもそれはとっても難しいことでもあるのだろうし、100%の達成率を求めるのはそりゃ酷ってもんだ。

誰がどんな言い方をしようとも、一体全体「何を言っているのか」ということを吟味できないということは、トドノツマリ、自分が損するだけなのだ、自分の子どもが損するだけなのだ、ということを、親として・大人として肝に銘じておく必要があるんだろう、なんて思います。
posted by チャマ at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、とか? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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