2006年10月20日

平等と均等をごっちゃにすんな!

数週間前の週末の早朝。
野球少年とその追っかけとーさんを送り出した後、ボーーーーーッとTVを見ていた。
ゴルフのレッスン番組では「人間の体の動きは筋肉の記憶に基づく」ってなことを言っていて、スイングの効果的な練習方法をやっていた。
これは野球にも使えるひらめきexclamation×2
やっぱ早起きは三文お得なのねぇ〜るんるん

チャンネルを変えると、一見すると「放送大学?」とでも思えるようなチャンネルに出くわした。
「ナゼ人を殺してはいけないのか」
なんてことについて語っている。
朝から重いなぁ・・・ふらふら
と思いつつ、ついつい見てしまった。
どうやらナニカの宗教番組だったらしい。

私は学生の頃ラジオの深夜放送を聞いていたクチなので、その流れで週末の朝にやっている「心の灯火」なんてのも聞いたりした。
あの音楽と「暗い暗いと嘆くより、自分で明かりを灯しましょう。心の灯火」というオープニングは今でも忘れない。
話していた内容はきれいさっぱり覚えていないけどねもうやだ〜(悲しい顔)

半期に一度我が家に来る富山の薬屋さんが持ってくる、よくお寺からもらうような説教めいた一言集のような紙を読むのも好きだ。

宗教ってのはホドホドが丁度いいって思う。


たまたま出合ったその宗教番組?のおじさんは、こう言っていた。
「なぜ人を殺してはいけないか。
 命だけが唯一、この世に存在する万人に対して平等に与えられたものだからである。」


ほぉ〜、納得してしまった。

現代ほど「平等」を強調する時代ってあったんだろうか?
ネコも杓子も「平等でなくてはならない」と思っていて、その権利を主張したがる。
でも、そんな権利を保障するのは誰でもない「社会」なのだ。
誰からも保障されずとも万人に与えられている唯一の平等なモノが、「命」なんだねぇ。

だから奪ってはならないのだ、という訳だ。

この話は、「平等」「均等」の区別がつかない人には恐らく理解できないだろうと思われる。

それらの区別が出来ない人たちはこう言うんだろう。
「人によって寿命が違うじゃないか。これのどこが平等だ。」
「人によって幸せだったり不幸だったりするじゃないか。これのどこが平等だ。」
「健康だったり病弱だったりするじゃないか。これのどこが平等だ。」

命を与えられるということに関しては、命を与えられた時点ですでに平等なのだ。
その命が長いか短いかとか、幸か不幸かとか、健康か否か、というのを問うことは、平等か否かではなく均等か否かということなのだ。

教育格差が問題視され、義務教育の在り方が取りざたされている。
でもさぁ、義務教育では教育を平等に受ける権利を保障されているだけなのだよ。
均等な教育を受ける権利なんぞ、誰も保障なんてしていないのさ。
保障されているのは「基礎学力を受けるための場所を平等に提供しますよ。アナタにはそれを利用する権利がありますよ。」という平等だけなんだ。
「万人に均等の学力を身につけさせること」なんて誰も保障してなんていない。
行政とか社会とか国政とか、システムとして「均等な教育を受ける権利」まで保障なんてすることは不可能だろうって思う。

その平等に与えられた権利を活用する側がどれだけ有効活用するかは使う側に任されるって訳だ。

教育格差ってのは、その平等に与えられた権利を有効活用できない一方と、有効活用しているか、もしくはそんなモノだけじゃ足りなくて塾などのプラスアルファまでも取り入れている他方の二極化ってことなんじゃなかろうか。

教育の機会は平等に与えられている。
でもそれは均等ではない。
だって、均等になんて、国や行政なんかのシステムに要求することは馬鹿げている。
出来っこないんだから。

じゃぁアンタは収入格差=教育格差でも良いというのか?
とおっしゃる方が必ずいらっしゃると思う。

良いも悪いも、現代という時代はそれを決定とする方向に向かっているじゃないんだろうか。

あるタレントが海外で代理出産した双子の出生届けを役所が受理しなかったことを提訴した。
子どもを産むことができなくなってしまった彼女には、苦渋の決断だったには違いない。
でも、現行の国内法ではそうやって生まれてきた子どもの出生届けは受理されないのだ。
それは多分、代理出産を計画した時点で当人達には判っていたことなんだろう。
判っていたにも関わらず、どうして代理出産したのだろうか。
どうしても子どもが欲しい。
その気持ちは理解できる。
でも、子どもはペットではないし、親の持ち物でもない。
一人の人間がこの世に生を受け、でも出生届を受理する国が無い=社会的にこの世に存在しない人間になってしまうことが判っていて、どうしてそんなことが出来るのだろう。

 所詮人生やったもん勝ちよ
 私やりますぅ〜〜〜るんるん(byキョン2)

ってことでしょ?
誰が一番可哀想だって、生まれた子どもが一番可哀想だ。
そして子どもをそうさせたのは、誰でもない親本人だ。
親の我儘・エゴが、無国籍の子どもを作ってしまったのだ。

恐らく法律はこのタレントが訴えるような方向で改正されるのだろう。
国内でも代理出産が認められる日は、そう遠くはないんだろう。

でも代理出産って貧乏人でもお願いできるものなんだろうか?
人間まるごと一人を、何ヶ月も・・・何年も借り切るのである。
代理で出産する人間の人生の幾ばくかをお金で借りるのである。
幾らかかるのは知らないが、フツーのサラリーマンでは多分無理だろう。

過去、子どもが産めない女性は平等に我が子を授かることは望めなかった。
でも代理出産や体外受精という医療行為によって我が子を授かることができるようになった。
それを法的に認めるということは、女性はだれでも平等に我が子を授かることが可能になるんだろう。
でもそれは決して「誰もが望める」という均等ではない、ということだ。

少子化の陰に収入格差有り、なのだそうだから、代理出産に限らず、すでに均等ではない、ということなんだろうけどさ。

とかくこの世は「言ったもん勝ち・やったもん勝ち」になってきていると思う。
「辛抱」という言葉はいったいどこにいってしまったのやら・・・

辛抱できない人間が、なんだかよく判りもしない平等だの個性だの権利だのを振りかざして、グッチャグッチャのゴッチャゴッチャになっている現代。
そんな気がする。

自分のエゴを「権利」とかなんとかに摩り替えて「悲劇のヒロイン」よろしくTVに涙ながらに出ていらっしゃるその陰で、社会的に存在していない二人の人間がいるのだ。
そんな子ども達を生み出したのは、誰でもない親であるアンタだよ。
ワイドショーを見ながらツッコミを入れてみたりもする。

そして学校という教育の現場では、なんだか怪しげな育児本の受け売りを声高に振りまきながら、先生の一挙一動を批判をしている親がいる。
人のことをとやかく言う前に、返事くらいちゃんと出来る子どもに育てましょうよ、お母さん。
先生をチェックする前に、自分の子どもをチェックして下さいね、お母さん。
大抵の場合、こういうお母さんは平等と均等をゴッチャにしている方が多い。

先生は平等には出来ても均等には出来ないんですよ。
それを均等にするには、お子さんご本人と親御さんの力しかないんじゃないんでしょうかね。
力を注ぐなら、まずそこでしょ、お母さん&一部のお父さん。

お父さんだけなぜ「一部」と書いたのか。
お父さん達の様子を垣間見るに、お父さんと呼ばれる方たちでそういった味噌クソ一緒の考え方をされている方が少ないように思われるからだ。
確かに一部、お母さん達と一緒になってゴチャマゼ式思考で先生を標的にしているお父さんもいない訳じゃない。

ゴチャマゼ式思考のお母さん達が元気なのは、お父さん達が子どもにあまり関心がないからなのか、お母さんを押さえることが出来ないのか、それは判らない。
過去、我が家の場合は後者だったと思うんだけどねふらふらたらーっ(汗)ー(長音記号1)

平等と均等の違いが判っただけで、案外世の中は暮らし易くなるものだ。
と、やっと足元が見えてきた…かなぁ〜と思えるようになった私は、そう思う。
posted by チャマ at 22:37| Comment(2) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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