2006年10月11日

不登校卒業(仮)---その1---

ココを放置したまま早数週間・・・
その間に、保育園年長組からの登園拒否&不登校だった我が家の不登校児次男坊2号少年が、先月の運動会以来、順調に「フツーの登校」ぴかぴか(新しい)をしておりますいい気分(温泉)
不登校をしていた子どもが学校に戻った時、よく聞かれる周囲の言葉に
「今まではいったい何だったんだ?って思うよ。」
というものがありますが、我が家も御多分に漏れずってところですトイレ
もっと言えば
「この子は本当に不登校してたんだろうか?」
なんて思えてきます。
喉元過ぎれば…ってことかもしれませんが、そう思ってしまうくらい2号クンは楽々と当たり前に登校しているんですよね。
周りの大人の方が目フリーダイヤルわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)ってなもんで、拍子抜けしてしまいます。

2年生の時、一年間だけ「フツーの登校」をしていた2号クンですが、その時とは雲泥の差があります。
2号にとって、不登校をしていた長い期間よりも、毎朝死に物狂いで気合いを入れて通っていたアノ一年間の方がキツかったのかもしれない、なんて今更ながらですが思いますダッシュ(走り出すさま)あせあせ(飛び散る汗)

長い長いトンネルを潜り抜けた今、彼は学校に行くことが楽しくて仕方無いオーラさえ漂わせていますのでね。
長い長いトンネルを抜けた今だからこそ見える様々なことが、今の彼にはカルチャーショックのような影響を与えているようです。
良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、今のところ楽々と、そして嬉々として体験し、こなしている、そう思えます。

どうして5年間も苦しんだ不登校から「運動会」なんつーただのイベントをきっかけに登校できるようになったのかと言えば・・・
一言で言えば
ただいろいろなことのタイミングがピッタリと合っただけ
と言うしか無いと思います。
そして
そのタイミングを逃さないための準備が整っていた
と言えるのだろうと思います。

我が家の不登校については過去&別館のエントリを読んで頂くとして・・・

今回ただのイベントである「運動会」がきっかけになった背景には、正式名称「適応支援教室」通称「中間教室」で昨年一緒だった6年生の存在があります。
常時通っていた子が3名、時折通ってきていた子が1名。
全員男の子だったのですが、彼らは運動会の練習から学校に行き始めました。
練習の時間だけ学校に行く子。
運動会の練習が始まった途端に来なくなった子。
それぞれに違いはありましたが、運動会当日から後、彼を中間教室で見ることはありませんでした。
というか、あまり記憶が定かではないのですが、運動会をきっかけに彼らに変化があったことは間違いありません。
そして6年生は卒業し、心配されたGWや夏休みの後も戻ってきた子はいませんでした。
そんな前例があって、2号の中では
「運動会の練習が始まったら学校に行かれるようになる」
という考えがあったようです。

でも、それだけじゃダメなんだちっ(怒った顔)exclamation×2
ということは、前のエントリでも書いた通りです。

今でも「仲間だと思える」同志?とも呼べそうな彼等の姿を背景に、運動会が登校へのメインポールであった訳です。
そしてそれは中間教室の先生も、担任も「狙っていた」イベントでもありました。

当初、中間教室の先生も、担任も、学年主任の先生も、2号がリレーの選手になるものだ、と思っていたようです。
確かに、足の速さは学年でも・・・いえいえ、リレー選手の多くが属するオラが少年野球チームの6年生よりも足が速い2号は、学校でも5本の指に入る俊足なのかもしれません。
先生方が「リレー当確」と考え、リレーを足がかりにそこからその他の種目の練習⇒教室⇒登校というルートを導き出したらしいです。
ところが2号がリレーの選手になれなかった・・・

後日、学年主任の先生がおっしゃいました。
「あの時は正直頭を抱えましたよ。マジかよぉ〜〜〜って思いましたよがく〜(落胆した顔)どんっ(衝撃)あせあせ(飛び散る汗)
アハハハハわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)・・・

2号は家に帰ってきて、ブーブー文句を言ってましたっけ。
リレー決定レースで、どうやら同じ野球チームの子がかなりのズルをやってのけたらしいです。
更に、トラックを1周走るのにスタートは横一直線だったので、どのクラスも1・2コースの予選タイムが遅い子がリレーに選ばれてしまったらしいです。
これには他のクラスのお母さんも「おかしいわよ、こんなの!ちっ(怒った顔)」なんて言ってましたねわーい(嬉しい顔)まあまあ、落ち着いて・・・
更に、雨が全然降らなかったので砂が浮いてしまってグラウンドがズルズル滑ったようです。
こんなことをブータラブータラ言った後
「あんなんじゃちゃんとした選手なんて決められる訳ないじゃんもうやだ〜(悲しい顔)
・・・・・・・

2号はものすごぉぉぉぉ〜〜〜く自信があったんですよね。
選ばれなかったのは自分の実力が足りないせいじゃないって言いたかったんですよね。
それは他者に対してと、自分自身に対して、それらの理由で「リレーに選ばれなかった自分」を納得させようとしているように、私には思えました。

そーじゃないでしょexclamationと私は言いました。
ズルをやってまでリレーの選手になろうとした子のような(良くも悪くも)根性や気合いが2号にあったのかい?
第一、毎日ランドセル背負って学校まで歩いている子と毎日車で送り迎えしてもらっている子では、足腰の鍛え方が全然違う。
週に2日程、それもスパイクを履いて走っている子と、毎日フツーの靴で遊び回って走っている子では、グラウンドの馴染み方が異なって当然。
そーゆーことが5年間も続けば、その差は開いて尚当然。
リレーの選手になれなかったのは、誰の何のせいでもなくて自分の実力不足のせいなんだよ。
悔しかったら自分の足腰を鍛えなさい。
来年はお母さんが一番高いランニング用のシューズをアルペンで買ってやるから、一年間ガンバレ!!!
と・・・

ピッタリとタイミングが合ったいろいろな事の一つが、リレーの選手に選ばれなかったことだと思います。

こんな私の屁理屈に、まだまだオコチャマねぇ〜と言えるのでしょう、2号はすっかり「足腰を鍛える」ことに燃えてしまったようです。

「足腰を鍛える」ということは、以前から少年野球のコーチに言われていたことです。
「2号のコントロールの悪さは下半身の弱さからですよね。鍛えるように言ってください。」
そっくりそのまま2号には伝えたのですが、その時は自信満々だった2号は
「オレの足は細くない。足は速いんだから弱くない。」
と言って、あまり取り合いませんでした。
でも、ヒジを痛めて、投げ方がおかしくなって、送球に自信が持てなくなった時、監督も二人のコーチも前監督も、やっぱり言ったことが
「もっと下半身を使って投げろ」
でしたから、流石に「やっぱ下半身かexclamation×2」と思ったことでしょう。
大好きな野球を上手くなるためには下半身の強化。
そしてランドセル背負って歩いて登校することは、筋トレと同じ。
・・・・・

これがいろいろなことのタイミングの2つめ。


そして丁度そんな頃、我が家でのやり取りを知ってか知らずか、中間教室の先生も絶妙のタイミングで後押しをしてくださいました。


---その2---に続く・・・
posted by チャマ at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 不登校を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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