2008年12月31日

脆弱な自尊心

直前の記事で、「脆弱な自尊心」という言葉を使いました。

実はこれは受け売りであります。
そりゃそうだ。
私にこんな発想が出来るようなミソは無いのであります。

どこからの引用かといいますと。。。

『少年をいかに罰するか』(講談社)

宮崎哲弥+藤井誠二

第一章 風潮 P144 L11 藤井発言

から頂いております。

この本は、宮崎さんと藤井さんが『「少年は死刑にするべきか…」。改正少年法の矛盾点と改善案を、評論家とジャーナリストが徹底討論。』している本です。

評論家とジャーナリスト・・・
世の中で一番怪しい身分の方たちだなぁ・・・
なんて思いつつ、実は宮崎さんがキライではない私は、そのブ厚さに一瞬怯んだものの、ついつい買ってしまったのでした。


第一章の「風潮」では、まず「少年犯罪の真実」として、本当に少年犯罪は凶悪化し、増加し、低年齢化しているのかということを検証し、次に「現代の少年事件の本当の特徴」として、世間で大きく取り上げられた事件を取り上げながら、それぞれの考えを述べておられます。

「脆弱な自尊心」というフレーズが出てくる藤井氏の発言とは、
『己の脆弱な自尊心と一体になった不全感を埋めるのに一番いいのは、他者をコントロールする快感ではないでしょうか。他者を自分の自由自在にコントロールすること。』
というものです。

これを受けて宮崎氏が
『他者を完全な支配下におくことで全能感を回復する。』
と発言されています。

この様に考えると説明のつくことが、身の回りにはなんとも多いことか。。。

放送大学で心理学を学び始めて、日常生活の中で「なんとなく判っているけどはっきりとした正体が判らない」ことというが、「ああ、そういうことだったのかぁexclamation×2ひらめき」と判ることが多かったのですが、今回もまた、同様のひらめきるんるんが起こりました。

私はとても我がままな人間ですから、他者から縛られるのがとても嫌なのですね。
全てにおいてではなく、ピンポイントではありますが、「ココだけは譲れない」というポイントはどうしても譲れません。
そのせいか、他者が自分の思い通りにならなくても、それを何とかして思い通りにしようとは思わない人間でもあります。
イラっとしたりムカついたりすることはあっても、だからと言って策を講じてまで思い通りにしようとはしません。
そんな策を講じられる程のアタマが無い、ってこともありますが、結構人はどうでもいいや、なんて思ってしまうのです。

ところが世の中には、手を変え品を変え、他者を自分の思い通りにしたいと思っているらしい方がいらっしゃるのですよね。
そして困ったことには、ご自身がいろいろな策を講じていることがバレてないと思っていらっしゃること。
私なんぞは面倒臭いので、ハイハイそんなにそうしたいならどうぞ、ってなカンジで気付かない振りして調子を合わせちゃいますけど、正直疲れますよね。
そういう人に限って同じことされるとキレてみたり、思い通りにならないと判った途端、すごいイジワルしたりするんですから。。。
さらに困ったことには、あまりにも周りが自分の思った通りにならないと、病気になってしまうんですよね。
時には心の病だったり、時には体調不良だったり。。。

具合悪そうだから帰ったら?と言っても、悲劇のヒロインチックに
「ううん、大丈夫。私が帰っちゃったら仕事終わらなくて大変なことになっちゃうから・・・フッ」なぁ〜んて、弱々しく微笑んで見せたりなんかして。(そんな重要な仕事してねぇ〜っつうの)

というのは、今の職場の同僚ベテラン派遣さんのことなんですがわーい(嬉しい顔)
はぁ、本当に疲れる。

で、彼女の口癖は
「私はこの仕事にプライドを持っている」
なんですが、この「プライド」というのが実に怪しい。

プライド、つまりは自尊心ってヤツなんですけどね。

ある時「派遣の時給を一律にしろ」と言い出しました。
確かに彼女の時給は一番低いらしいのですが、それは派遣会社が違うから仕方の無いことだと、二番目に時給の安い私は思うんです。
同じ仕事なら別の会社でも出来るんだから、もっと時給の良い派遣会社なりパートでも正社員でも、自分の腕を信じて変われば良いと私なんかは思うんですが、彼女は「ココはグチャグチャだった状態を一から自分がここまでにしたところだから愛着があって変わりたくない」と言うのですね。
派遣会社を変えて、しばらく別の会社で働いた後でココにまた配属してもらう、っていう手だったあると思うんですが、派遣会社も愛着があって辞めたくないと言う。
だったら現状でガマンするしか無いんじゃないの?と思うんですが、それでも彼女は「時給を一律にして欲しい」と言う。
どうやら、私にも同調して欲しかったみたいなのですが、どう考えてもそれは無理だし、私とは全く違った考え方ですから、はっきりと
「全部を満たすような職場なんて滅多にない。どこかにポイントを置いて、その他はガマンするしかない。」というようなことを言ったんですね。
彼女が言うところの「プライド」というのが、いったいナニを指して言っているのかが私には判りませんでしたし、今も判りません。

何故かは判りませんが、彼女は自分が言いたいことを他人の口から言わせることが当たり前だと思っているようで、前に彼女と一緒に仕事をしていた人からも「彼女に変わって自分が言っていたから」(だから今度はアナタがその役割をするよの)と言われました。

・・・・・・・・

なぜに?

どちらかと言えば、私は自分と同じ考えでない限り、彼女が私に「こぼした」ことを上司に伝えたりするようなことはしません。
自分も同じ考えである場合は、彼女にこぼされなくても自分の意見として言いますから、彼女にしてみれば「言わせるように仕向けた結果」私が上司に言った、ということになるのでしょう。
ただ、彼女にしてみれば自分の思い通りの行動をとらないことがある私には、決して快くは思ってなかったようですね。
彼女の意に反しているのだろう行動をした時の彼女の態度たるや、私はまるで犯罪者かいexclamation&questionというものですね。

それでも折れずにコントロールさせない私も私なんですけど、それはそれでかなり神経が磨り減るのですよ。

実際のところ、確実に痩せましたね。
派遣されて2ヶ月で6kgも体重が落ちた時には「ガンかもexclamation&questionがく〜(落胆した顔)」とか思いましたけど、慣れて来たら少し戻ったのでどうやらその心配は無かったようですが・・・
久し振りに胃痛に悩まされているこの頃です。

と、長々とグチを書き連ねたようになってしまいましたが、「脆弱な自尊心と一体になった不全感」の持ち主なんだろうなぁ、と思える実例を一つ・・・ということで、お許し願いたいですな。

不全感というのは、誰でも何らかの不全感を持っているのではないかと思えます。
ただ、それはそれとして放っておいても、別の場面で万能感を持てていればそのことによって自尊心は保たれ、そしてそれは脆弱なものではないのだろうと思います。

自尊心というのは、自分に対する自分の気持ちですから、周りがいくら褒めちぎろうとも、自分自身が同じように思えなければ成立しません。
また、自分自身に対する評価というものは、周囲の評価で裏打ちされるものでもありますから、いくら自分自身に高い評価をしていようとも、周りの評価が思っているよりも低ければ、これまた成立しません。
後者の場合、自分に対する社会の不当な評価、と受け取ってしまう場合もあるでしょう。
この場合には、そういう受け止め方は恐らく意識の上で行なわれるのでしょうが、意識の外、無意識の奥で受け止めた場合には、不全感となるのかもしれませんよね。

不全感というのは、無意識の奥にある好ましく無い何か。それも自分自身に対する何か、ということかもしれません。
意識のレベルに押し上げてしまえば、対処のしようもあるのですが、自尊心が脆弱なために押し上げることが出来ない。
なぜ自尊心が脆弱なのかといえば、どこにも万能感を持てる場面がないから。
万能感が持てる場面がないから不全感に苛まれる。
不全感を意識にまで押し上げられれば直接的な対処をすることも出来るのだけれど、自尊心が脆弱だから意識のレベルにまで押し上げるることができない・・・

どこかでこの負のスパイラルは切らないといけないですね。

もしかしたら、誉めて育てる、というのはどこかの場面で万能感が回復できるようにするために考えられたのかもしれませんよ。

実際のところ、脳化学の分野でも脳みそというのは誉められると喜んでまた同じ繋がり方をしようとするそうですから、誉めて育てるというのは理に適っていると言います。

然しながら、周囲の人間の一挙一動を素直に受け止める年齢の子どもならいざ知らず、ある程度年齢が上になってくれば「そりゃお世辞だろうぅ〜」なんてことが判ってしまうのが人間です。
相手が心底そう思っているかどうかなんて、人間同士であればなんとなく理屈抜きで判りますもんね。

いくら周りの人間が「素晴らしいexclamation流石ですexclamation×2」と褒めちぎったところで、自分自身が心底そう思えなければ、それは誉めていることにはならないのではないでしょうか。
万能感を持つことはできませんよね。

逆に、周りの人間が「だめだこりゃ〜」と評価しても、自分自身が心底「それでも自分は頑張ったかわいいエライぞ自分るんるんぴかぴか(新しい)」と思えれば、誰が誉めてくれなくても誉められたのと同じ作用が働くのではないでしょうか。
たったそれだけの満足感であっても、脳にとっては喜びであるでしょうし、そのことに関してだけは万能感が持てるように思います。
そして自己満足ではあっても、たったそれだけではあっても、万能感を持っていれば、その人の自尊心は決して脆弱なものではないように思います。

周りの評価にあまりにも自分が同調してしまうことで、脆弱な自尊心と一体になった不全感という魔のスパイラルから抜け出れなくなってしまうことがあるようです。

そんな時は、どんな小さなことでも良いですから、「オレってチョットはやるジャン手(チョキ)晴れ飛行機」と何気に思えることを見つけてみましょう。
最初はとっても小さな、どうでもないことですけど、それが徐々に波紋のように広がって、しっかりとした自尊心に繋がっていくことでしょう。

自分ってナニモノ?というアイデンティティの形成には、芯となる「自尊心」が不可欠なんだろうと思います。
その芯は、不全感が伴わなければ、本当に小さなもので構わないんだろうと思います。

誰にでも一つくらいは取り得がある。。。
取り得なんていうご大層なものは、誰にもあるようなものではないと私は思います。
でもチョットだけ、ほんのチョットだけ人より勝っているなぁって思えることは、誰にでもあると思えます。
勝っているというのは一番、ということではありません。
自分よりも勝っている人は仰山いるけど、それでもチョットは人よりはイケてるかもしれない、そんなことでいいんでしょう。

そしてそんなほんのチョットの自分の良さを理解してくれる人が、世界中にたった一人でもいたら、決して脆弱でない自尊心を保ちながら生きていけるんだろうなぁ、なんて、そう思います。

そしてそう思えた時、不思議にお世辞だと判っていても「ありがとう」と思えるようになるんですよね。

ここ数年、私は私に付随している様々なことについて、なんだかとってもぶっ壊しと再構築の連続で、一体全体どーゆーことexclamation&questionもうやだ〜(悲しい顔)ふらふらがく〜(落胆した顔)ちっ(怒った顔)ちっ(怒った顔)だったのですが、結局のところ、すべては青年期に不完全なままに終わって大人になってしまったアイデンティティを再構築するために起こるべくして起こったこと、そんな気がしてなりません。

これはもしかして、私だけではなく、中年危機と呼ばれる年代の方たち皆さんに大なり小なり起こっている現象なんでしょうかねぇ・・・?

いずれにしても、何事も無いままもっと年を重ねていたら、とっても悲惨な後期高齢者になっていたような気がします。
というか、後期高齢者になる前に壊れていたようにも思います。

人間万事塞翁が馬

来年は馬ではなく丑ですが、ネズミのように落ち着き無く動き回った今年とは違って、牛のようにどっしりと地に足をつけてユルユルと草などを食べていられる、そんな年に来年はなれば嬉しいですね。

そんな願いを込めながら、明日はお節を作ります。

とは言ってもホラ、何と言っても必殺派遣切りにやっつけられちゃった私ですから、そうでなくとも地味なお節が、例年以上に地味になること必至なんですけどね雨
それでも気は心黒ハート
こうやって節目節目にケジメをつけることもまた、自尊心の芯になるのかなぁ・・・なんて、今チョット思いました。

世知辛い世の中ですが、そんな今だからこそ穏やかな気持ちで・・・

皆さま良いお年をお迎えくださいませわーい(嬉しい顔)手(パー)
posted by チャマ at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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