2005年08月02日

年齢差による発達の差

現役の高校教員であるゆみままさんからコメントを頂いた。

学校について、教師について、決して良いことを書いてはいない私の記事に、現役の高校教員の方からコメントを頂けるとは、少々驚きでもあり、多々嬉しいことでもあった。
コメントを拝見して、「こんな先生が沢山いてくれたら不登校も減るだろうになぁ」なんて思った。
逆に、「アンタそうじゃないのよ」という教員のコメントもまた、来たらおもしろいなぁ、どんなこと言うのかなぁ、なんてことも思う。

ゆみままさんのコメントに登場するDさんも、過去の私も、ウチの息子も、学校に行かなくなった理由?原因?には「担任」の存在があったという共通点がある。
そして異なる点は、年齢にある。

Dさんは高校生。私は小学校4年生。2号は・・・難しいところだが、登園拒否は5歳だし、そこから尾を引いた不登校は小学校1年生。
それぞれの人間が経験したのは不登校という共通項なのだけれど、それぞれの人間の年齢が違うからこそ解決できたり拗れたりしたことってあるんだと思う。

言語・思考・認知などなど、それらは相互に関係しているし、身体的な発達と経験値的な発達もまた、相互に関係している。個人と置かれている環境なども相互に影響し合う。
持って生まれたモノと、生れ落ちてから影響を与え与えられながら関係する沢山のモノとが互いに関係し合って、一人の人間を形作って行く。
同じ人間であっても、過去・現在・未来では、別の人間だとも言えるかもしれない。
個性や人格、環境・状況の違い以前に、不登校の解決にはたった一つの正解というのがない、ということには人間の持つ年齢による能力の違いということもあるんじゃないだろうか。

人間というのは加齢に伴って発達していくものだから、当然高校生と保育園児では持っている能力は違う。
自分の気持ちを伝える能力も、自分の気持ちを自分自身が理解する能力も、未熟な年齢で大きな問題を抱えるよりも、せめて自分自身の気持ちを伝える能力だけでももう少し発達してからの方が自分にとっても周りにとっても理解しやすい。
理解しやすいということは、考えやすいということだ。
低年齢の不登校はあらゆる面で未熟だからこそ、なぜこうなっているのかが「判らない」のだろう。
「ナニが判らないのかも判らない」状態なのだろう。
周りの人間に助けを求めたくても、なにをどう助けてもらいたいのかも判らないのだろう。
周りの人間がサポートを試みる時、それはあくまでも「想像」による理解でしかない。
本当に本人がそれを望んでいるのか判らないし、本人にすらナニを望んでいるのか判らないのかもしれない。

年齢が上になって、そういった能力がある程度発達したとしても、果たして本人の言っていることが的を得ているとは限らない。
本人であっても自分の気持ちを理解するときに間違えてしまうことがある、ということだ。
自分の気持ちの本当のところを本人も気付かないなんてこともある。
だとしても、ある程度発達していろいろな能力を持っているということは、それだけ自分自身により近い考えが出来るのだろうし、誰かに助っ人を求めるにしても、より理解してもらえやすいだろう。
何よりも、ナニを考えれば良いのかが明確に判ることは大きい。

Dさんのように、旧担任の謝罪を求めたり、その為にゆみままさんにサポートを頼んだりするような思考や行動力は、過去の私には無かったし、今の2号にも無い。
担任に対する不信感とか、怒りとか、そういうものは恐らく同じくらい持ってはいると思うけど…
前に進むための問題解決の方略、という視点で考えると、その違いはかなり大きいと思う。
そしてゆみままさんの尽力で旧担任が謝罪した(例え旧担任が納得してはいないとしても)ことは、Dさんにとっての不登校を完全に過去のイベントとして葬り去ったんじゃないだろうか。
それはDさんの中で、クリアするべき問題が明確だったからこそ解決できたんじゃないだろうか。

年齢の違いによる自我意識の違いとか、自己概念の違いもあるだろう。
年齢の低い子どもはまだまだ親の価値観をある意味「絶対」としているけど、年齢が上になればなる程今までと違う新しい価値観に影響され易いし、今までの価値観とは全く異なる価値観に対して「今までの価値観とは違うから」という理由だけで「正しいもの」と判断してしまうかもしれない。それは良い悪いの問題ではなくて、そういう年齢なのだ、ということなんだ。
そういった価値観は思考の素にもなる。

どんな年齢の子どもにも言えることは、問題に直面した時には死に物狂いで考える。
問題を解決すべく、今置かれている苦境から脱出すべく、脳みそが解けちゃうくらい真っ赤にして考える。
大人はとかく経験の中からプロトタイプを探し出して楽な思考をしようとする。
思考の一生懸命さでは、子どもは大人の比じゃない。
未熟だからと侮ってはいけないんだ。
痛いところをつかれたからって、意固地になっちゃいけないんだ。
そんな大人を見て同じように意固地になっちゃったら、それはソイツと同じ類の人間なんだ。
それで良いなら意固地になったまま時間を過ごせばいいんだろう。
年齢が低い子どもは、意固地にすらなれない。
安全基地で固まったまま動けないんだから。
固まっている状態、というのは一見同じに見える。
例え似たような状態であっても、年齢の差=発達の差=問題の質の違い、ということにはならないだろうか。
「不登校はなにも問題なんかないのだ」と言われてしまえばそれまでだけど・・・

posted by チャマ at 14:41| Comment(2) | TrackBack(1) | 不登校を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 チャマさんこんにちは。話題に取り上げてくださってうれしいです。多くの方に考えてもらいたいと思い切ってコメントしてよかったです。

 Dさんは子供のころから周囲との違和感を持って育ってきた子で、自分のことを冷静に見つめる習慣があったようでした。お母さんも経験を経て学習されていて、ご家庭の理解は大きかったと思います。何より、Dさんの勇気に私は心を打たれました。
 
 実は私の長女も不登校経験者です。小学校2年のとき。と同時に私のクラスに3人不登校の生徒がいました。
 クラスの生徒は高校生だから、ある程度は話してくれます。でもその真意を汲み取るまでには人間関係を作るところからはじめて相当な時間がかかります。本人も現実に起こっている状況を認識していなかったり、保護者の目線が本人とずれていたり。
 
  朝その子たちのお母さんから「今日も行き渋っているが、どうしよう。」なんて電話を受けながら、わが子の欠席連絡をする毎日です。連絡のために携帯電話を買ったくらいです。
 
 わが子の場合は自分でもわからないことを説明なんてできませんし、まず話もできませんでした。とにかく元気がなく、家から出られなくなりました。
 
 これをきっかけにカウンセリングの一手法である親業講座に参加したり(教員の方も大勢いました)児童相談所に行ったり・・。放送大学でも学びました。勤務しながらよくできたものだぁと今さら思いますが、わが子のこともかかってますから。必死でした。
 転居して環境も変えました。うちの子も担任の先生が原因のひとつだったので、転校してしまえば担任も代わると思いました。でも、家庭環境にも何かあるんじゃないかと思って、思いっきり家事を手抜きして子供のそばにいました。とにかくやってみようって感じでした。
 担任の先生はすばらしい授業をされ、クラスも優秀。でもあとからわかったことですが、学級委員をしていたわが子が、学級委員だからということで掃除の責任を感じ、しない子の分まで毎日するのが負担だったこと、そのことを担任は知らなかったこと、思い切って相談に行ったら「そんなことで来ないで!」と言われたこと。断片的にわかってきました。
 
 高校生になってどか〜んと不登校になっちゃう場合、それまでサインが出てることがよくあります。それを周りが気づかず、無理が蓄積したところにきっかけがあると不登校になったりします。
 でも年齢が小さい場合は早く気づいているわけですから、周囲がそれに理解を示し、本人の負担を軽くしてあげることで早く楽になるのではと思います。
 
 わぁ、ごめんなさい、めっちゃ長くなりました。
ちなみにあれこれやってるうちに、お母さんが明るく幸せでいることが子供には何よりの元気になるということもわかりましたよ。お互い楽しくいきたいですね。
 
 
Posted by ゆみまま at 2005年08月03日 11:09
ゆみままさん、ありがとうございます。

そうだったんですかぁ、お子さんとクラスのお子さんと、大変でしたね。私なんて自分の子ども一人だけでイッパイイッパイです。がんばりましたね。
朝の欠席の連絡は正直キツイかったです。
毎日毎日、行きたいけど行きたくないと訴える息子を横目に、制限時間ギリギリに「お休みします」と言うのを、息子に聞かせて良いやら悪いやら。
「今日は行ってみようかな」なんて言葉が出てきてもグズグズしているウチに連絡する制限時間が来る。「遅刻して行くかもしれません」なんて電話した後で、「遅れていくなんてイヤダ」と言われ、アノ手この手の説得も無駄で、「やっぱりお休みです」なんて電話し直したり・・・これが毎朝ですからねぇ・・・他はともかく、これはかなりシンドカッタです。本当に朝が恐い数年間でした。
そんな切羽詰った親の様子も子どもには良い影響を与えないですよね。
中間教室はそんな連絡を必要としませんから、それだけでどこかしか余裕が持てたように思えます。
親子共に、今の良い状態の中で沢山いろいろなことを学んで、いつか学校というヘンテコな社会に乗り込んでやろうって思っています。と言っても怒鳴り込むんじゃないですよ(笑)

子ども社会、おかしいですよね。そこに少なからず違和感を感じていたり、どこそこ居辛かったりしている子ども達は多いと思います。
以前、私喀血したことがあるんですが、喉のポリープが血管を押し上げていて、そこにコーンフレークが当たったらしいんですね。
で、血管が破裂?してドバァ=っと・・・アレはすごかったです。

子ども達は押し上げられた血管で、いつコーンフレークというきっかけが当たって破裂してもおかしくないのかもしれません。
じゃ、ポリープはなんだ?と考えると、社会、ってことになるんでしょうか?
でもね、ポリープを治すのは自己治癒力なんですよね。医者はその手伝いしかできない。
劣悪な環境の中でも、ポリープを作らない体を作ることも必要だと思うんです。どうやって逃げても、所詮は社会の一員である訳ですから。
環境改善を叫ぶあまり、自分が不養生じゃぁ本末転倒だと思うんです。
そんな生き方は大変かもしれませんけど、中間教室で学べそうな気がするんです。イエイエ、現に学校では学べない沢山のことを学んでいますしね。
だからこそ、体力をたっぷりつけて、学校というヘンテコリンな社会に戻っていって欲しいって思うんです。
あ、学校の先生に、ヘンテコリンとか言っちゃってすみません・・・しかも2回も・・・(汗)
息子もなんとなくそんなことを判ってきたようですし、それは同時に彼を取り巻く人間がどうすべきかも明確になってくることでもあって、以前のような闇の中で四方八方手探りってことがなくなっただけ、ナニを考えれば良いのか判ってきただけ、余裕が出てきました。
それは乗り越えることの多さももまた明らかにしましたけど、それ以上に毎日が楽しくなってきた、明るくなってきたように思います。
季節が夏だから?ではないとは思いますが・・・
最終目標は学校に行くことじゃなくて、力強く生きて行くことですから、ゆっくりとじっくりと、その目標に向かって歩いていこうと思います。
段々私が置いていかれているような気がしなくもないですが・・・

またコメントしてくださいね。関連エントリはまだ続きますので?!
超大作コメント大歓迎です。
って、それ以上に私が書いちゃってますね・・・すみません。
Posted by チャマ at 2005年08月03日 14:19
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