2007年01月31日

個性を考える

先週の太田総理。
「報道の自由」なんてことを議論してました。
何かってぇと「報道の自由」とか言いやがる芸能レポーター。
何でもかんでも報道すりゃぁいいってもんじゃなかろうにもうやだ〜(悲しい顔)

「報道の自由」「知る権利」とか言われるその一方で、「編集権」とか「期待権」とかいう権利もあるんだそうです。
取材を受けたある団体が「期待に反した形で報道された」と報道した側を告訴し、勝訴しました。
片や取材をし報道をした側には、それを編集する権利がある、のだそうです。

要するに、いっくら「自由」とは言っても、ほどほどにネ。
ってことなんでしょうし、「規制」するにも、ほどほどにネ。
ってことなんでしょう。
まるっきり自由な報道も、思いっきり規制された報道も、両方とも危険この上ないということなんでしょう。

何事においても、腹八分目が丁度良い、ってことです。

「個性を考える」というタイトルをつけながら、ナゼこんなことを延々書いているのかといえば、世の中で昨今声高に言われている「自由」とか「権利」とか「個性」とか「平等」とか・・・そんなものがどうも胡散臭く思えて仕方無い私だからです。
それらがまるで、錦の御旗のように思えて、金看板のように思えて、それらを掲げればなんでもアリなのか?と言いたくなってしまう私だからです。

なぜそれらを「胡散臭い」と思うのかと問われれば、判りませんけどね。
自由とか権利とか個性とか平等とか・・・それらが大切なことであることは百も千も承知してますし、そうあるべきだと思います。
でも、世の中のいろいろな場面で声高に強調されているそれらを、私はどうしても胡散臭く思えてしまいます。
私はそーゆークオリアを持っている、とでも言えばいいでしょうか?

・・・クオリアの使い方、間違っているかなぁ・・・


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posted by チャマ at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | いろいろ考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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